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2013年6月27日 (木)

西武30000系のひよこ

さて今日は古い鉄友達と飲んだわけですが、私個人の今年度第1四半期の鉄道事業は全く振るわず、皆から鉄分を補給してもらったような次第。

帰途、前から気になっていたものを見つけた。
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西武30000系の貫通扉は大きな1枚ガラスになっていて、中央付近に卵形の模様がついている。編成の中で1カ所だけ(だと思うけど)、卵からひよこが顔を出している絵がある。

前からその存在自体は知っていたが、撮影に成功したのは初めてだ。

2013年6月24日 (月)

DF91 1(マイクロエース)

やや唐突だが、マイクロのDF91 1を購入した。
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前面貫通扉が取り付けられる前の姿。いわゆる金太郎塗装。
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時代考証としては1964年頃ということになるらしい。区名表示は「知」。
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軸配置C0-C0。模型は外側各2軸を駆動する。
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実物は先日経営統合破棄で新聞を賑わした?川崎重工製。お得意の丸窓。
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写真では同じ長さに見えるが、DF50(トミックス)より短い。橙色の色合いがだいぶ違う。
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実物はDF50と運用を共用していた由。後ろにカニ21が見えるが、本機は四国にいたらしいので、そういう運用はなかったと思う・・。
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重連運用もあったらしいが、模型では速度が違いすぎて協調しない。
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う~ん、やはり同じ長さに見えるね。
買ったのは、ちょっと珍しいものが欲しかったから。正直、実物とは全く縁が無い。たしか、「鉄道ファン」’75年8月号のニュース記事に、廃車になって工場保管されているという記事を読んで、実物のことを知った程度。
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それと、DF50の調子が落ちたため、予備機としてという意味合いもある。もっとも、DF50の調子が落ちたのには理由があった。
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DF50は今年の初め頃からレイアウトに置きっぱなしになっていて、時々運転していたが、だんだん動きが悪くなっていた。春の多忙期にはずっとほったらかしになっていてレイアウト上にかなりホコリが積もってしまった。

これは樹木などが白っぽくなるなど外見も悪くなるが、運転する動力車には非常に過酷な状態となる。人目にはそれほどでなくても、実はかなりのホコリが積もっていて、集電に悪影響をもたらす。
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ホコリが絡みついたDF50の動力台車。余りのひどさに絶句、軽く手入れをして、車両を撤去し一時運休とした。時間ができたらいったん大掃除をして、全体を更新するつもり。

2013年6月15日 (土)

井の頭線延伸計画の記事

また日経の記事で恐縮だが、
井の頭線、消えた延伸計画と日本一の「三鷹球場」
帝都電鉄が京王帝都の1路線となった1948年、三鷹から田無、更に東久留米に至る延伸計画があったという(久我山から別線を計画。後に吉祥寺経由に変更)。競願として、西武多摩川線の延伸(武蔵境から東伏見、後に武蔵関)というものもあった。双方に共通するのは、旧中島飛行機工場跡地に設置された「東京スタジアム」と、周辺で計画された大規模なスポーツ施設へのアクセス。しかし、球場は1年で閉鎖され、路線免許申請も後に取り下げられた。

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旧中島飛行機工場跡地から、浄水場のある辺り、この辺は私にとってはなじみの深い土地だ。工場引き込み線を利用した、国鉄武蔵野競技場視線の話は、何年か前のピクトリアル(中川浩一氏)の記事で知っていた。
この辺は戦時中爆撃の激しかったところで、よく不発弾の撤去作業をするお知らせを目にしたことがある。広い敷地だが、今は大きな公園と団地になっている。
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吉祥寺、三鷹から西武柳沢まで、かなり頻繁にバスも運行されている。この辺りを南北に結ぶ鉄道があったら、便利だっただろうな、と言う思いは強い。

実は10数年前、いわゆる架空鉄道として吉祥寺-川越間を結ぶ鉄道を想定したことがあった。実際の計画とは違い、路線の開通は戦前で、軌間は1435mm,吉祥寺から田無、今のひばりヶ丘を経由、野火止付近に車両基地があり(開業時)、川越街道に沿って川越に向かう、本川越付近に終端駅があり、大宮方面の電車と接続、という想定だった。

 軌間が1435mmなのは、山の手急行との接続を想定したため。中島飛行機の工場は南側を通り、立野町付近から南下して、吉祥寺駅手前で右に急カーブして北口付近に駅を設ける、と設定。駅は小さく、車両は18m級5両までしか対応できない(後改良で一部8両対応)。
90年代半ば現在、60年代中期から作られた新性能車グループとそのマイナーチェンジ版、80年代からの界磁チョッパ車が主力、最新のアルミ、ステンレス車が登場、試作的に作られた初期高性能車は、Tc化され、やはり60年代から70年代に作られた吊掛式車体更新車は一部が冷房化、新性能化の上残存、という状態だった、と思う。

 後にだんだんエスカレートしてきて、川越からスイッチバックして北に向かい、高崎だかどこかまで延伸された(戦後)、ということで、クロスシートの長距離型が登場(料金不要の、京急旧600型のような)、80年代初めには後継の新車が一部指定座席付きで登場、その後一般車と混結、座席指定車廃止とか、話が広がってしまった。

 まあ、こんな遊びは若い頃は大好きだったけど、残念ながら年と共に想像力が枯れてきてしまったかもなあ・・。

2013年6月 8日 (土)

このマナーポスター

タイトルにいきなり「痴漢防止ポスター」と書くのはなんとなくはずかしくて・・。。
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この、川崎のぼる風?の画風は、広い世代に受け入れられそうな感じがする。こういうポスターは結構難しくて、リアルな感じの絵柄にするとなんだかやらしー感じになってよろしくないし、それを避けて抽象的な感じにしていくと、何のポスターかわからなくなってしまう。
このポスターは、そういう生々しい感じを避けて、ちょっとユーモラスに振っているところが、いい感じだ。
だんだん暑くなってきて、電車の中も蒸してきましたよねえ・・・。

2013年6月 2日 (日)

静岡鉄道

東急7000(7700)を見に行こう、と思っていたのだが、急な用で静岡まで行くことになり、7000ではなく、7200、でもないのだが、同系の静鉄電車を見に行った。
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新静岡はJR静岡から多少離れた場所にある。地下道はあるが、途中から地上に出てしまい、最後までつながっているわけではない。その距離感は、西武新宿的、というか、上毛電鉄的、と言うか、まあ、何でもいいけど。
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サイズは小さいが、ICカード改札、タッチパネル式の券売機、ホーム安全柵と、東京の大手私鉄並に設備は整っている。各駅施設も、なりは小さいが整備は行き届いていて、鄙びた感じは一切ない。首都圏近郊の小私鉄よりも洗練された感じだ。
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電車は全て1000型で統一されている。さすがにインバータ車というわけではないが、内装を含めきれいに手入れされている。初期の車両は車令40年になろうとするが、古さは感じない。
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ウェブで撮影地ガイドを探そうと思ったが、適当なのが見つからず、とりあえず春日町まで行ってみる。ただ、どうもぱっとしない。
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どうも障害物が多くて距離も取れず、撮影が難しい・・。
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歩道橋から俯瞰して撮れる、とどこかのウェブにあったが、こんな風にしか撮れない。別のところにあるのかなあ。
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柚木から又電車に乗って、結局県立美術館前駅まで行って降りた。広めの道路が線路の両側に通っており、ガードレールで仕切られている。東京なら背の高い柵で仕切ってしまうところだ。この雰囲気、何となく世田谷線を連想させる。飲料の広告電車が多いのも、世田谷線っぽい。
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今回途中から追尾AFを使っているのだが、時に失敗したものもあり、完全ではない。ミラーレス機はその辺が弱い。
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この辺から雲がかかりはじめる。ちょっと逆光気味だが新清水行きも撮影してみる。
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いくつかある模様の一つ。一応上の1006Fが標準なのだろうか。
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最初に新静岡から乗った1012F。今気がついたけど、こちら側から見ると水色で、ちょうど反対側から見ると(静岡方から見ると)黄緑色なんだな。
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正面は無地だが、引っ越し業者の広告入り。
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広告はなく、オレンジの帯入り。
静岡鉄道に乗るのは初めて。乗り鉄の友人にあきれられそうだが、ここで引き返して新静岡に戻ってしまった。もっとも、帰りの指定をとるとき1時間ぐらい駅で待つ列車を取ったので、新清水まで行っても間に合ったのだが・・。

2013年6月 1日 (土)

サーベラス 35.48%を確保

西武鉄道の話題が続くが、米投資会社サーベラスの発表によると、西武ホールディングに対するTOBの呼びかけで、同社の保有株割合は32%強から35.48%に上昇した。保有比率は1/3を超え、重要事項の否決権を得ることになる。当初目標としていた、44%には届かなかった。

サーベラスでは一株1400円でTOBを実施していたが、多くの株主は今後上場することにより、これより高い株価になるものと考えているようだ。しばらくは何も変わらないだろうし、いずれ上場も決まり、双方とも矛を収めるときがくるかも知れない。

鉄道株は全体に軟調だ。先週の株価急落が拍車をかけた。この先、第2幕がどう推移するかわからないが、私自身は適当なところで持ち株を整理して、JRかどこかの私鉄株を、長期保有しておこうかと思う(5月は色々言われて、いくつか高値で買っちゃったので、今は動けない・・)。西武は、安く出ればいいが、今の状態だと上場も年内は無理だろうし、ちょっと買うチャンスはないかな・・。

話は全然関係ないが、東急7700(7000)のことが、度々頭をよぎっている。この春は休日なかなか出られないが、今度見に行ってこようか。



西武の小河内専用線開発の記事

日経新聞ウェブの「東京ふしぎ探検隊」に西武の小河内専用線開発記が掲載されている。
朝日新聞に影響されたのか?日経にも一般向け鉄記事が結構目立つ(のだが、何となくベタな感じがして余り読んでいない)が、これはよく調べている感じだ。

鉄道ピクトリアルの特集号(92年5月)の、長谷部常務と今城教授の対談がとりあげられていたのは驚いた。ここでは五日市線、八高線、川越線を西武がやる、という話が取りざたされたことがある、とある。当時の国鉄は投資が支線に回らない状態だったが、今は過去の話だ、と長谷部常務は流している。

日経の記事では、秩父鉄道を西武で、と諸井虔氏が西武に持ちかけたそうだ。西武が軽井沢まで直通させる一環となりうるものだったが、当時の西武社長は、不採算事業を抱え込むとして、この話を封印した。

観光地開発というのは、企業が大型施設をつくったり、鉄道を通すだけではだめで、工場集積地のように、個々の業者を集めて育てるようにしていかないと、なかなか根付かないようだ。奥多摩の件は早々にお蔵入りとなった。奥多摩と並び西武が力を入れた秩父も、記事では苦戦が続いた、としている。

当時軽井沢延伸が実現したとしても、新幹線開業で影響を受けていただろう。当時の西武経営陣は、結果として正しい判断をした、と言うことになるだろうか。
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