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2012年8月30日 (木)

ひたちなか海浜鉄道(2)

茨城には別の用で行く機会があって、もう少し足を伸ばせば勝田にも行ける、といつも思うのだが、ついでとなると案外時間が厳しくなってしまうので、いつも断念していた。
それで、いつかはまた行かなきゃ、という思いだけが残っていたのだが。
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キハ203。車番はキハ20 429と表記されている。
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いわゆる首都圏色だが、現役時代にこの色で走ったことはなかったようだ。
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イベントスペースとして使われているらしい。中に入れたようだが、案内板がドア脇にあるだけで(那珂湊駅舎にブースがあり、そこでパンフレットをもらえばわかったかもしれない)、場違いだったら怖いと思い、入らなかった。
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有名なケハ601廃車体。これもギャラリーとして活用されているらしく、プラレールとおぼしき本車両が走っているのが窓越しに見えた。
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1993年8月。この頃既に廃車になっていたが、台車ははいていた。場所は今キハ204がいる辺りだと思う。
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キハ1103。独特なライトを持つ1101、2は既にいなかったと思う。
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位置関係がはっきりしないが、奥の電柱のようなものは今でもあり、そこから考えると、今トラ1やら何やらが留置されている辺りではないかと思う。留置中正面ドアを開けておくのは、夏の習慣なのだろうか?
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キハ221。廃車体も解体されてしまったようだ。この頃はまだキハ3710もいなかったので、主力として使われていたと思う。
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ケキ102。この建物は建て替えられたらしい。
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そういう言い方はなんだが、このときは外から撮影すると妙にいい場所に車両が止められていた感じがした。それと、今思うと廃車体も荒れ放題というものはなく、当時も施設等の管理はしっかり行われていたようだ。今はかなり観光地的な売り方というか、ちょっと売り方の意味合いが変わってきた感じで、まあそれはそれで悪くはないのだが。
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湊線というと、先の地震で大きな被害を受け、そこから見事に立ち直ったことが記憶に新しい。この古い煉瓦造りの倉庫も、一部が半壊し、トタン板で補修してあった。
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もとはこんな建物だった。扉などは新しくしてあるので、現役で使っているのだろう。
雑草の生え具合はいまよりワイルドだが、今はボランティアの方が除草しているためだと思う。
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ちょっと写りが小さいけど(クリックして拡大して!)キハ203の現役姿。今首都圏色になっているやつである。周りの建物は既にどれも新しく、今とそう変わりがないのではないかと思う。
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キハ112は今鉄道博物館にいるそうだ。編成相手は111だったようで、これは解体されたらしい。画面奥にトヨタ・ビスタが踏切を渡っているのが見える。なんだかつい昨日の事のような気もするが、もうビスタなんて道を走っていないだろう。
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おまけ。その後のキハ112。
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とんぼ返りで、勝田で急いで券を買ってフレッシュひたちに乗り込む。651系だが、本日は車種が変更になったそうで、車掌が停車駅に着くたびにわびていた(大変ご迷惑を・・)。そういう意味ではないと思うが、なんだか651系が気の毒な感じがした・・。たしかに内装は多少やれてきたが、E351系ほどじゃない気もするが・・。
引退は近いと思うが、たぶん、波動用になって485を置き換えるでしょうね。

ひたちなか海浜鉄道(1)

時間が自由になる日は今日だけなのだが、なぜか調子が悪くて動きたくない。仕事じゃないのだから、無理することはないのだが、ちょっとだけと思い、電車に飛び乗った。
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E657系に乗るのは初めてだ。この「目が耳まで裂けている」みたいなデザインは、マツダの何とか言うSUVと似ているな。内装はなかなかのもの。
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でたらめな時間に来た割には運が良くて、キハ205が待っていてくれた。那珂湊までの区間運転。
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意外と観光客的な人はいなかった。
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どんな平凡なものでも、生き残りさえすれば非凡になれるのだ。それが大変なのだが。
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運転台。
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キハ205は那珂湊に着いたら、そのまま入庫してしまった。エンジンはかかったまま。
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後続のキハ37100-03 アニマルトレイン。
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もう一本はミキ300。
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他の旧型気動車は今日は休みだ。いずれ再訪するときの楽しみに。
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19年前、茨城交通だったときにいちど訪問したことがある。細かいことはみんな忘れてしまったが、近くにショッピングモールがあって、そこで食事をした記憶がある。鉄道は今よりも観光地的でないというか、言い方を変えればちょっとさびれた感じで、キハ11なんかもふつうに走っていた。
続きはその2で。

2012年8月29日 (水)

メトロ6101F

*ごく軽い記事です。
千代田線は、さいきんは週に1,2回程度しか使わない。乗るのも一駅だけなので、ほとんどエスカレーター状態だ。
今日はホームに降りたら、ちょうど6101Fが来ていたので、とっさに撮影。
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ホームからだと特徴のある裾周りがわからないな。
先日は16107F。これは室内灯にLEDを試用しているようだ。予備知識はなくて、入線してきた車両を眺めていて、ひときわ明るい車両があったので気がついた。車号をメモする程度に撮影。
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このデザイン、けっこう好きだ。
下は特に意味はないが、ついでなので北綾瀬を走る第1次試作車。ポジフィルムのスキャンが少し眠い感じだけど。
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2012年8月28日 (火)

非常停止ボタン

今朝の通勤途上、急行に乗車中に車掌が「緊急停止ボタンが押されたので、途中駅にいったん止まる。ドアは開かないのでドア付近の方は注意(何を?)してほしい」というアナウンスがあった。音声の背後に何かのアラームが聞こえてくる。途中駅に運転停車した。
しばらくすると、「安全が確認できたので出発する。約6分ほど遅れて到着する見込みです。ご迷惑を・・」とアナウンスがあった。

緊急ボタンが押された理由はわからない。「急病人」ならそう言うだろうし、いたずらか、間違えて押したとか、そういうことかもしれない。今日は帰りにも、先行列車急病人対応のため、抑止とアナウンスがあったが、大した影響はなかった。

今や日常の出来事として、あまり気になる話ではないが、今や、と言うからには昔は緊急ボタンを押して列車が止まったなど、ほとんど聞いたことがなかった、という事でもある。なぜこう日常的になってしまったのか。

ブログなどでは社会問題となっている、救急車の安易な呼び出しと絡めて語る人も多い。
列車内の急病人とは、どの程度の深刻度の人が多いのか、資料がないからわからないが、一刻を争う緊急なケースもあるかもしれないから、安易なことは言えない。

話は飛ぶが、昔は何度も貧血で満員電車の中でしゃがみ込んだことがあったなあ。中学から電車で通っていたが、最初の数年は年に数回やった。気絶しなかっただけまだ軽い方なのかもしれない。親切な人に、席を譲ってもらったりもしたが、列車を止めようと考えた人は、自分を含めていなかったと思う。そもそもそんな発想がなかったのだ。

先週の新聞(日経、24日)ではやまぬ駅員への暴力、昨年は過去最悪を更新という記事が載っていた。加害者の6割は40代以上で、会社や家族へのストレスの矛先が向けられているのでは、という分析がなされていた。酔っ払いが多いという話だが、こうなると本当に社会全体の問題である。

飛行機ではもう少し前からAir rageというのが、これは世界的な問題となっていて、航空会社が対策を強化しているという話を聞いたことがある。飛行機は密室、鉄道は出入りの容易な公共スペースという違いはあるが、もし対策を講じるのが可能ならとるべきだろう。

とはいえ、社会全体の公徳心とかを変えていくことは容易ではない。暴力が良くないのは誰でもわかるが、急病になるなとは言えない(いちどだけ聞いたことがある。電車に乗るときは体調を整えてくれと、車掌が放送してた。そういうのを聞くと、現場の反応が垣間見えてくる)。お互いがすこしずつ、世の中をよくしていくしかないようだ。

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2003年7月頃、事故の影響で変なところに居座っている10000系。井荻付近。
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上井草までたどり着き、また動かなくなってしまった。手前と、奥の方の踏切は開いている(画像をクリックするとすこし大きくなります)。

2012年8月27日 (月)

スカイアクセス線とか

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スカイアクセス開業後、京成本線の上野-成田間は、すこし不便になってしまった。以前は急ぐときはスカイライナーに乗れたが、シティライナーも日中は運休したままだ。

一方、スカイアクセス側は実はこれまで乗ったことがなかった。初日乗りの習慣がないので、そのうち空港に用があれば、と思っていたが、いっこうにない(昨年海外に出たときは羽田から)。ので、時隔が開いて上り列車が来ないのをきっかけに、成田から成田空港経由で東松戸まで行ってみることにした。

成田から東松戸に行くには、本来なら空港第2ビルで乗り換えるのが筋だが、成田空港の様子を見たい事もあったし、接続もうまく行かないので、成田空港まで行ったん出た。
成田空港はJR,スカイアクセス線、京成本線経由と3ルートがあり、スカイアクセスと京成本線はホームを途中で分けたようなつながり方をしている。日本の事情を知らない外国人にはわかりにくいかもしれない。
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手前が京成本線、奥がスカイアクセス線(スカイライナーホーム)。京成から乗り換えるには、いったん階段を上がり、中間改札を抜けて、スカイアクセス線のホームに出る。改札の外には出ないが、パスモの料金は中間改札でいったん精算されるようだ。
この辺は詳しくないので、友人にメールして確認を請うた。

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今更レポートしても仕方ないので、詳細は省略するが、迷いながらもアクセス特急のホームに到着。本数は少なく、30分待ち。乗ったのは羽田空港行きの京急1000。
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乗り換えなしで羽田まで行くので、便利そうだが、本数が少ないようだ。
先頭の車両に乗ったが、鉄の親子連れが運転室背後にいたので(改札を出ずに、折り返し乗っているように見受けた。こどもの教育上よろしくないと思うが)、写真は撮らずにおとなしくしていた。
信号場での待避や、新線区間の120km運転など、なかなか楽しめる。
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東松戸についたときは、もう5時過ぎだったので、少しだけ撮影した。下りホーム空港側(この時間順光なので普通こちらを選ぶ)にはいわゆる同業の方がおられたので、遠慮してAEだけ撮影。
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ちょっと西日がきつい。

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今朝(というか昼)、日暮里から乗った本線経由の成田空港行きも、この3050型だった。普段京成になじみがなくて、本線で3050に乗るのも初めてだったのでちょっと不安で、ドア上の液晶をしばらく注意してみていた。簡体字中国語表記と、ハングル文字が珍しいですね。

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下り列車でも、真西という訳ではなく、夕方はそれなりに撮れる。

この後、武蔵野線でぐるっと回って帰ったが、時間はともかく金ばかりかかって仕方がない。西浦和で、鉄橋に防風壁が取り付けられているのを確認した。何度か撮影に行ったのだが・・。


2012年8月23日 (木)

赤い電車のアオガエル

少し前の話になるが、鉄道模型ショウ2012の会場(の前の売り場)で、赤い電車の「アオガエルシリーズ」を衝動買いした。
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アンレールネクストというシリーズだそうだ。価格は3,000円と、鉄コレよりも多少高い。
構成も鉄コレとは多少違っていて、連結器やアンテナ類は自分でパーツを取り付ける。
連結器はかなり華奢なもので、取り扱いには気を遣う。

書き忘れたが、このシリーズは地方私鉄に譲渡されたアオガエルたちだ。今回買ったのは熊本電鉄(とりあえず緑色だったので、東急時代のものかと勘違いした)だが、上田交通、長野電鉄、岳南鉄道、福島交通、松本電鉄の塗装もある。

動力化セットはアルモデルから出ているようだ。6,930円と高いが、パンタやT車の台車(GM製)も含まれている。メーカーの製品と言うよりは、マニアの作品風である。

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ケースは鉄コレ風だ。日本製。
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ヘッドライト、連結器取り付け前。ライトはシールドビーム2灯にするか、単灯にするかの選択だが、クリアパーツではなく、車体同色。
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床下機器はボリューム感があり、なかなかの出来だ。台車自体は悪くないが、車輪はプラスチック製で、何となくがたつきが大きく、鉄コレのそれよりは作りがよろしくない。
動力化の際には台車枠自体も使われないので、むしろ車輪を薄くしたり、モーターを表現したりした方が良かったのではないか。せっかくの直角カルダンなんだし。

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窓周り。塗装はそれなりにきれい。窓ガラスははめ込み式。全体のバランスは悪くないが、線は太めでやや乱れも目立ち、これを動力化してもなあ、という気はする。
多少下手でも、GMのキットを組んだ方が満足感は高いかもしれない。ただ、両運化キットなんかもあるし、熊本電鉄版に愛着があるなら、これをベースにした方が早いだろう。

私自身は東急時代の姿で、作ってみたいなと言う思いはある。


2012年8月22日 (水)

非冷房車

今時、冷房のない車はほとんどないが、全く絶滅したわけではない。

かなり前のピクトリアルの編集後記に「都営5000が健在の頃、六郷川を渡る夜風をめでながら走った時の心地よさが忘れられない。かび臭く生ぬるい冷房よりも、窓を開けた方がいいと思えるときがある。」というような意味の記事を読み、以来非冷房車のことが妙に気になるようになった。

昨年の初夏には、折からの節電要請に応えて、各鉄道で冷房使用を控え、窓開けを奨励していた。普段窓開けはとても気を遣う(嫌う人が多い)ので、これはいい感じかな、と思ったが、そのうちみんな忘れてしまったようだ。

地方私鉄にはわずかに非冷房車が残っている。

北勢線270、これは1両だけ冷房がない。

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ご丁寧にも「非冷房車」というステッカーが窓に貼ってある。
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西桑名から乗り込んだとき、客は私ひとりだけだった。
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この写真でわかるように、さいきんの非冷房車は窓が開けられていない。
人が乗っていないせいもあるが、今の乗客は窓を開けることを知らない人が多いのだ。

秩父鉄道1000は、中間車のみ非冷房だ。
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ここでも窓は開いていなかった。がっかりしたのは、改造により開閉範囲が狭められていたことだ。かつて2段上昇窓は全開できたのだが。
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銚子電鉄。800は引退したが、1000は健在だ(2009年9月撮影)。

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屋根がすっきりしている。地下鉄は都心部でもかなり遅くまで冷房なしを満喫?できた。

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仲ノ町。これは何かの撮影らしい。電車は留置線にあって、動いていない。こんなに混んでいると、やはり冷房が欲しくなる(2001年8月)。

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冷房が似合わないのは、延々と続く田園地帯を走るときだ。
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窓を開けたらさぞ気持ちがいいだろうと思うが、人がいるとなかなか勇気が出ない。
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誰もいなくても、冷気を逃がすのは気が進まず、結局開けなかった。
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2012年8月20日 (月)

小田急

カメラを持って出かけるのは7月末以来久しぶりだ。近場の撮影なので、いつも午後遅く行く事が多いが、今日などはもう6時過ぎにはかなり日が傾いており、季節の移ろいを感じる。
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小田急線の運転系統は未だによくわからない。きょうも快速急行の車掌に「喜多見?」と聞いたら、代々木上原と成城で乗り換えろ、と言われたので、その通りにした。
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この塗装は未だに古さを感じさせない、というか、一回りしてあらためて新鮮な印象・・。
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VSEにはまだ乗っていない。乗るときはEXEばかりに当たってしまう。
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1000系はわりとナイーブな、80年代的なデザインだ。これは露出が明るくなりすぎだ。
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こちらの方はコントラストが強いが、悪くない。絞り、ISOは同じなので、WB(こちらはたしかAWB)の関係か。
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3000系はかなり思い切りのいい造形だ。2000年前後はこういうデザインが目立った。
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ここ数年は以前のような極端に簡素なデザインからの脱皮を図ろうとしているように思える。
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試作車の登場はたしか1968年。変な話だが、これを見ると、霞ヶ関ビルとか、新宿の高層ビルを連想する。
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もうこれしか残っていない、塗りの通勤型。今回画質をFineからNormalにして連写枚数を増やしたが、どれもフェンスがかぶるなど、あまり成功していない。これも露出が明るすぎる。次回はRAWで撮って後で調整するか。
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京王、東急(東横)の時も多摩川を渡る橋を撮影したので、今回もそれに習った。
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MSEのこの色は目立つ。関東の他社-特に東武はもう少し見習って欲しいものだ。
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この2枚はコンデジ(Power Shot SX150IS)で撮影。多少周辺が甘いが、動画も撮れるし、サブとして持って行くと結構使える。
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2012年8月12日 (日)

ふじみ野変電所

話題としてはとても地味だが、書こうと思いながら写真が撮れなかったので(といっても、この写真を撮ったのは6月。今日撮影したことを急に思い出した・・)。
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ふじみ野の変電所ができたのは1年ほど前、ちょうど地震で電力事情に大きな変動が生じた頃だ。建物前面にソーラーパネルの張られた、モダンな建物だ。
通りに発電量を示したパネルが掲げられていたので、いつも気になっていた。

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このパネルの説明は少し曖昧だが、一応年間4,890klの石油が節約できる、と言うことはわかる。微妙な発言をするつもりはないがconfident、火力発電を前提としているらしい。
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このページを見ると、太陽光発電の電力は建物照明や設備動力(100V)に使われているらしい。さすがにソーラーで電車は動かせないようだ。しかし、何となくそんな誤解をしていたことも事実だ。

(番外編?)「雪風」

オリンピックもそろそろ終わるが、この時期は例年日本では過去の歴史を振り返る時期でもある。

そんなことを考えながら、過日ビックカメラのおもちゃ売り場を冷やかしていたら、プラモコーナーに戦艦「大和」と空母「赤城」のセットが、お買い得価格で売られているのを見た。
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「大和」は今を去ること41年前に、池袋東武デパートで叔母に買ってもらった事がある。その後、小学校4年生の時に「武蔵」をお小遣いで買って作った。何となく「大和」に形が似てるなあ、と思うくらい、実物知識はなかった。甲板を一応塗装したりして、夏休みの工作として学校で展示した。
中学2年の時に、名前は忘れたが、なんかの駆逐艦を作った事がある。それ以来艦船模型は作っていない。35年くらいか。

プラモの箱を見たとき、そんな子供時代を思い出した。
ただ、こういうのは鉄道と違い、明るい歴史を背負っている訳ではないわけで、ちょっと買うときに考えこんだ事もたしかだ。ドイツなどでは機関車でも戦前の意匠で模型化することは法律で禁じられているらしい。

「大和」はパーツも多く、いきなり作るのには気が引けたので、小さなものをと思い「雪風」を買ってきた。
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これも実物知識があって選んだわけではない。後で調べると歴戦をくぐり抜けながら奇跡的に生き残り、戦後は輸送船に使われた後、台湾に賠償譲渡されたという。
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艦船模型としては最も簡単なキットの一つだと思うけど、結構細かいパーツが多い。ウェブを見ると、これにエッチングの手すりやワイヤ類を追加している人がいるが、もう、はじめから降参である。
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テレビを見ながら途中まで作ったが、寝不足で困ったので、週の後半は一時中止した。
艦橋の一番上のパーツを一つ飛ばしてしまったのは内緒である。
鉄道模型的な視点で見ると、甲板の網目板の表現が明らかにオーバーだったり、マストも太すぎるのが目立つ。しかし、揚げ足取りみたいなものか。上手に作った作例は、そんなことは感じさせないから。
実物知識があると違うかもしれないが、パズルのように訳のわからないパーツを組み合わせると、いつの間にかできているという点では、艦船模型は面白い。鉄道もそうだが、自動車なども塗装次第なところが大きくて、神経を使うので疲れてしまう。

話は飛ぶが、今回組み立てをするためにカッティングシートを取り出したら(25年ぐらい前に買ったA3ぐらいのもの)、真ん中へんが膨らんでいて、気持ちが悪いので買い換えた。何か熱の出るものに使ったかな?

2012年8月 4日 (土)

B1版パネル2枚で作ったレイアウト(3)

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 川。塩ビ板の裏に灰緑色の色模造紙を挟み、表面にボール紙をおいただけ。「シンプル、解体容易」が当初のコンセプトだったため、こんな方法をとった。後で地表を表現するとき、ボール紙が反ってしまったのは失敗。しかし水面自体はディティールが無いのになぜかそれらしく見える。
Dsc_5445 鉄橋のホコリが・・・
 ヒントは会社の会議室テーブルだ。中央にガラスで覆われた装飾があり、色合いがちょうどこんな感じだった。

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08年2月に板を買ってきて、線路を敷いたのが3月。同時に、まとめてストラクチャーを注文した。プラットホームはGMのローカル型を買ったが、幅が広すぎて使えず、代わりにTOMIXの古いものを使った。写真の機関庫はヘルヤンの煉瓦方形庫。90年代に買って組み立てだけしてあったもの。
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なぜかコルクにこだわっていて、崖部分もコルクの表皮を使っている。基本的にレイアウトの表面を、石膏やおがくずのような一般的な材料ではなく、別のテクスチャーで表現できないかという気持ちがあった。地面や草地を、それらしい色の布で表現することは、ずいぶん後まで考えていた。
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線路配置はかなり違うのだが、奥の方で川が屈曲してそこを線路が直進してたり、内周線がドッグボーン型になっている辺り、そしてこの右側のカーブとトンネルあたりのあしらいには原型というか、イメージとして念頭にあるレイアウトプランがある。

TMS’74年6月号、これは私が最初に手にしたTMSだが、この月の折り込みに掲載されていたのが中尾豊氏のNゲージレイアウトプランだった。折り込みは真上から見たシーナリィのイラストが掲載されていた。

’76年、中学1年の時、無謀にもこのプラン通りに作ろうと挑戦したが、中学生には難しすぎて?いろいろな意味で脱線を繰り返し、最後はターンテーブルをつけたり曲線改良工事?をしたりして、2年後に廃線になった。フレキシブル線路を使った流れるような曲線は、近年の組線路を使ったプランに慣れた目から見ると新鮮だ(などと言いながら、今手元にTMSがないけど)。TMS’79年10月号に、このプランを使って静岡地方の風景を表現された方の記事が掲載されていた。

2012年8月 3日 (金)

鉄道模型ショウ2012

メインブログで一般向けに記事を書いたが、こちらはもっとコアな、事は書けないので印象に残ったものだけ記録しておこう。

今回たまたま招待券をもらったので出かけたが、この種の展示会は久しく行っていない。どのくらい行っていないかというと、前回行ったのは1979年だから33年間行っていなかったのだ・・。Wikipediaによると、79年のショーは第1回目だったそうだ。

覚えているのは場所が竹橋の科学技術館で、KATOがちょうどブルトレ24系を発売したばかり、エンドウ、しなのマイクロ、エーダイなんかも出ていた。201系試作車が出た頃だが、たしかKATOが、試作ボディで色違いの模型を展示していて、気の早いことだと思っていた。どこかで調べてもらうとわかるけど、KATO、エンドウそしてGMは試作ボディ(900番台、前面手すり、戸袋窓、パンタ、台車が違う)の201系を競作していたのだ。

話を現代に戻そう。
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記念販売の営団300。ドアに番号(305)がつき、貫通幌がない。2000円。会場外ではアウトレット品(Tomixのオハ35辺りが1000円、名鉄モ600のセットが、たしか4,500円)を売っていた。この辺はパスしたが、どこかのブースで青蛙型タイプ電車、というのを見て引っかかってしまい、買ってしまった。
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西武2000も気になるが、手前にあるのは第三軌条である。540円。
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走っているのでぶれてしまっているが、カワイのCタイプディーゼル、青色。これは新幹線ブルーに近い色だが、もう少し明るめのカラーのものが、出るらしい。
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この写真では京浜東北の水色っぽいが、もう少し濃い色だった気もする。

追記:すいません、既に販売されていました。単品売りが出るようです。

追記の追記:度々すいません、やはり新色(既存品は黄色帯入り)のようです。
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箱根登山モハ1各色。
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びわこ号。なかなか好ましいまとまりをしている。都電9300と一緒に、走行展示していた。
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これはあれですな。雑誌をすこしずつ買うとレイアウトができるという企画のレイアウトだな。走って いるのは名鉄タイプの黒いELだった。
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同じレイアウトのターンテーブル付近。これ、分売してくれないかなあ。
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調べたら、相模鉄道のグリーンポケットで売っている1/80のディスプレイモデルらしい。
7000円なので、ついでに買うには微妙な値段だが、動力化したら楽しそうだ。
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これも調べたら、2年ほど前に配賦されたものらしい。さいきんは色々なものがゲリラ的に出てくるな。
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Micro Aceの名鉄3400。
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同じく4両編成当時の姿、。実物は見たことはあるのだが、乗りそびれてしまった。動態保存後、まさかまた引退してしまうとは思わなかった。欲しい気もするが、ちょっと高くて買えない。
Nゲージ主体と言うこともあるが、会場に機関車がほとんどいない*。このマイクロエースも、展示は電車しかなかった気もする。細々と蒸機も再生産していたようだが、それももうしないのだろうか?
*16番ではKATOのEF510や、TomixのEF63などが出ていた。

2012年8月 1日 (水)

鉄道の消費電力2割削減

引用は日経新聞から;

国 土交通省は全国の鉄道の消費電力量を2030年までに2割削減する方針を決めた。鉄道事業者は日本の電力消費の2%を占める大口需要家。JRや私鉄各社に 消費量の削減で協力を求める。13年度の予算編成に向け環境省と連携し、自家発電設備や蓄電池を導入する補助費として数十億円を要求する方針だ。

 国交省は30日に「エコレールラインプロジェクト推進検討会議」の初会合を開き、目標を打ち出す。会議にはJR7社と東武、西武、近鉄など全国の私鉄15社が参加する予定だ。

 

 鉄道の電力使用量は大口需要家の中で6%の比率を占め、機械(26%)、鉄鋼(13%)、化学工業(10%)に次ぎ、食料品(6%)とほぼ肩を並べる。国交省はこれを30年に2割程度減らす目標を決めた。(後略。7月25日)

 この記事は7月25日(水)付けだが、もっと最近読んだような気がすると思ったら、30日(月)にも短い記事が(会合の終了後)載っていた。2割削減というと結構大きな数字だが、埼京線の205系をE233系に置き換えると4割削減、同じく東武野田線の新型車も4割削減になるとアナウンスしているところを見ると、技術的には難しくないのかもしれない。

 一方では生産者人口の減少と、それに伴う輸送量の減少という問題もあると思う。7月18日の日経新聞朝刊によると、東京の人口は2020年にピークをつけた後は次第に減少し、2100年には713万人と、10年比46%減になるという。さすがに2100年の東京はこの目で見ることもないだろうが、現実問題としては総人口より生産年齢人口は総人口に先んじて減少していくので、通勤輸送等への影響はより早めに出てくるものと思われる。

 首都圏の鉄道は、過去60年以上にわたってある意味異常な状態が続いていた。本来は都市計画そのものから考え直さなければいけない課題のはずだが、各鉄道が徹底した設備投資と創意工夫により、何とかつじつまを合わせてきた。効率化の推進と輸送人口の減少は、これまでの鉄道の形態に何らかの変化をもたらす事になるだろう。

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