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2012年5月29日 (火)

サロ

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これには乗ったことがなかったと思う・・。今は各線で見られるようになったが、以前はグリーン車連結の普通列車は限られた路線でしか見られず、何となく近寄りがたいものがあった。
2004年3月、東京。安いカメラ(ミノルタ ディマージュX20)は歪みが大きく、こういう写真は辛い。何かのソフトで修正したが、なんだったか忘れた。
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113系もサロをつなぐのとそうでないのとは貫禄が違う。E231系も、サロがつながっているだけで、威風堂々と見える。
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これはカメラそのままのひずんだ画像。たしか135換算で広角端38mmぐらいだと思ったけど。
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高崎線の、このサロを挟んだ編成(5両+サロ2両+3両)は好ましい。模型だとフル編成はちょっとうちのレイアウトにはきつい。3+サロ2両+3にするか。
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台車がTR69と言うのも変化があって良い。最後にTR69つきの車両に乗ったのはいつだったろうか?たぶん185だな。

2012年5月27日 (日)

東上線 下板橋、 ときわ台付近

前夜からの風邪が悪化して、午前中は起きてはいたものの動けなかった。
午後になって薬が効いてきた。下板橋に行く。
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電留線。車種のバリエーションがいい。
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2001年6月。この頃は8000ばかりだ。
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このあと、あちこちふらふらと撮影ポイントを探し回るのだが、ずっとここにいれば良かったような気がする。逆光気味だが、気にならないし。
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ここでは数人の人がカメラを構えていた。白レンズの人がいるが、こちらはレンズは黒で、ボディが白だから逆である(Panasonic Lumix G3 Vario 45-200mm)。スマホで撮っている人もいるので、気にしなければいいのに、何となく引け目を感じたりしている。
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大山-中板橋。
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2011年7月。コンデジIXY31sで。9101Fとも長いつきあいだ。
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1980年6月。50mmF1.4しかレンズが使えなかった。
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ときわ台-中板橋間。緩いカーブで、一見良さそうなのだが、なかなかきれいに撮れるところがなかった。
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30000系は東上線に来ても何となく影が薄い感じだ。
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10030系更新車。6+4の中間運転台を撤去している。
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正面窓内側の方向幕がそっくりなくなっている。外幌はずいぶんと無骨だ。

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11634(いいむさし)号だが、逆光を嫌って反対を向いていたので、番号が一致していない(池袋方が11634)。

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中学、高校時代の東上線は、78と8000しかおらず、車種変化の少なさを嘆いたものだったが。
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8000系なんか見飽きていて、撮影するなんてフィルムの無駄だと思っていたのに・・。
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18:00のTJライナー。ISO640。夕日が雲に隠れて、撮りやすかった。これで撮り納めだが、いささか撮影効率が低く、反省。

2012年5月26日 (土)

色々買ってきたが・・。

お見せするような代物ではないが、3年ほど前に作ったレイアウトが、少し痛んできた。
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B1パネルを金属製アングルでつなぎ、手持ちのトミックス茶色道床をならべたもの。ほとんどの線路は買ってから20年以上、中には30年以上前のものもある。
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最初は簡易レイアウトとして、舞台装置のようにごくシンプルなものを目指していた(飽きたら解体するつもりだったので)。この河川敷など、段ボールがむき出しである。色紙の上に薄い塩ビを載せた川面は良いが、川岸との間に隙間ができてしまった。
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一部の樹木や、台所スポンジをアクリル絵の具で染めて作った山の木々も、ホコリをかぶり色が落ちている。これらをリフレッシュするため、緑化を中心に手入れを行う予定。

河原には情景用のレイアウトストーンなるものを買ってきたが、本物の石なので重い。昔紙パルプで作った「小石」が売られていて、軽くて良かったのだが。
このほか、今はブロックごとにパックがついているだけの配線を、デュアルキャブコン式に直す(これも部品は前に買っているのだが)事も着手しないと、と思っている。

本当は線路配置も直せればいいが、低コスト、簡易が身上なので、この程度としておこう。

2012年5月23日 (水)

業平橋の巨大な落下物覆い

スカイツリーが22日開業したが、しばらくは混雑して行けそうにない。建設中の様子は、3年前の10月に1度だけ見に行った。
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電車を降りて最初におどろいたのが、この巨大な落下物覆いだった。
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山間部の鉄道には落石覆いとか、雪覆いとかの施設はよく見られるが、こうした人工物のための覆いが、都会の真ん中で見られるとは思わなかった。
今は外してあるんだよね?
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まだ8000系もいた。模型のような風景だな。
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まだここまでしかできていなかった。

2012年5月21日 (月)

野田線の3000系

昨日野田線のことを書くときに、東武鉄道が野田線に新型車12両を投入予定という、訪問動機を書きそびれた。20000系の中間車を抜き出して先頭化改造した、ものじゃないだろうな。たぶん50000系列の本物の新車なんだろう。

野田線と聞いて思い浮かぶ車両は、世代によって違うだろう。私たちより上の世代の人は32型とか旧総武系の車両を思うかもしれない。5000系列と答える人も多いだろう。私はやはり3000系あたりだろうか。
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'80年4月、岩槻付近。台車はD16系の小柄なものをはいているが、総武鉄道の引き継ぎ車を更新したものだろう。後で該当する車番を調べてみようと思う。幌、屋根上の標識灯、貫通ドアの種別板受け、運行番号幕と、オリジナル東武顔のディティールを色濃く残している。
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フィルムがかびてしまい、上の方に緑色のシミがついてしまった。丁寧に除去すれば隠すこともできるが、ここまでひどいとかなり手間がかかりそうだ。

この頃野田線には3000系が全車集結、3050系、3070系(前年に5000系から改番)の一部が配置されていた。違いは制御器、電動機出力などだが、外見上の違いはほとんどなかった。運転台仕切りは3000系が8000系オリジナルと同じ、3050系は同時代の8000のように運転台側だけ拡張したもの、3070は冷房化以降の8000と同じまで拡張されていた。
基本は4両貫通+2両固定だが、3000の中には組み替えで6両貫通としたものも存在した。

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岩槻-大宮の区間列車。この車両の方向幕はかつての東上線のような区間表示だ。
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岩槻駅電留線に停車中。クハの台車はTR11であり、これは蒸機時代の客車を電車が牽引していた(サハ扱い)ものを、鋼体化したグループであろう。客車の台枠と台車が流用されていたが、台車はTR11に振り替えられ、また台枠は3000系への更新で破棄されたから、更新時に旧客車から引き継いだものはなかったと思われる。



野田線の8000系

野田線を使うのは伊勢崎(スカイツリーライン!!)日光線からの帰りであるときが多くて、撮影をする路線として考えたことはなかった。さいきんの8000系はどうなっているのか、少し気になったので、午後の空いた時間に少しだけ行ってみた。
大宮から乗った列車は8101Fだった。幸先が良い?
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幌のついていない8400はどうもなじめない・・。
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コンデジのIXY31Sで撮ったが、ちょっとパースがつきすぎだな。
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撮影場所は一応無難な?南桜井-川間の江戸川鉄橋付近。
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8172Fは'76年秋の、マイナーチェンジ増備車の第1陣で、台車がFS396/096に、床構造やドア(ステンレス化)、冷房装置などが変わった。
ウェブで見ていると、8167F-8172Fまで全て春日部に新製配置されたように書かれているが、たしか76年秋に70番以降の編成が東上線で使用されていたのを記憶している。台車が変わったので、乗り心地や音がどう違うか確認しようとした、と覚えているのだが。翌年春に、8両固定が入ってからは見かけなくなった。70番台が東上線に再び入ったのは90年代に入ってからだろう。

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画像を圧縮しているので番号は読めないと思うが、これは8157Fである。'72年夏に、東武初の通勤冷房車として新製された18両のうち、本線に配置された1本だ。もはや当時を知らない人には、全く理解できないだろうけど、通勤電車に冷房がついたというニュースは、新聞の社会面に取り上げられたり、地元の普通の人たちの話題にのぼるような、画期的な出来事だったのだ。
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8106Fがまだ活躍しているとは思わなかった・・。書類上は8000で最初に入線したのはこの8106と8112Fで、1963年10月となっている。8101はナニワ工機製で11月。

8000については、私がくだくだ書くより、もっと詳しくて体系的に書かれた立派なサイトがたくさんある。正直、8000には思い入れがあるので、本格廃車が始まってから、そうしたサイトをのぞくのはなるべく避けるようにweepしていた。だいぶ寂しくはなったが、同時代の西武701~101、京王帝都5000,3000、小田急2600,5000、東急7000~8000、京成3200、京急1000、700、みんな引退、または引退間近なのに比べるとまだましなのかもしれない。

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所用があるので急いで帰宅したが、帰りの電車は8101+8501Fだった。

2012年5月19日 (土)

西武の「赤電」、701,801旧塗装

西武の旧塗装を当時赤電と言っていたのかどうか、あまり記憶がないけれど・・。赤電というと京成の3000型以降を連想してしまう。先日の古い写真と同じ時の撮影。
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701系。さすがにクハの台車はTR11ではない。新宿線はまだクモハ351+クハ1411を組み合わせた4連の急行が走っていて、当時としてもちょっとびっくりしたことがあったが、これも4連だ。朝ラッシュ時の10連運転は既に10年近く前から始まっていた。
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801系。701系がステンレスドアに交換されたのは冷改時だが、801は73年か74年頃にドアだけ交換されるものが出てきたように記憶している。最初からステンレスドアだったのは69年の101からだ。

2012年5月14日 (月)

伊豆箱根1100系 リバイバルカラー

所用で出かけたついでに、まもなく引退する伊豆箱根1100系と対面した。時間の都合で、三島駅で写真を撮っただけだけど。
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クハがはいているFS342T台車。
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この塗装は西武赤電風だが、塗り分け線などは西武時代そのままというわけではない。そのことはウェブで知っていたが、まずこの連結面はたしかにちがう。
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正面をみると、この塗り分けで良かったような気がするが、たしかに違和感がある気もする・・。
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ちょっと写真が小さくなってしまうけど、たしかに西武時代はベージュの面積が上下に大きかったようだ。
'79年5月、新大久保

2012年5月 8日 (火)

むかしよく行っていた模型店2

の続き。
サクラ模型: よく行ったというわけではなく、行ったのは1,2度だが・・。
大宮駅西口は、昭和50年代の終わり頃から再開発され、もはや昔の面影を見つけることは全く不可能になってしまった。いわゆる国鉄の街という感じで、木造の官舎がたくさん建ち並んでいて、ちょっと他の首都圏のどの町とも似ていない感じだった。サクラ模型はそんな町にあった。覚えているのは、店主のお嬢さんなのかな、若い女性が店番をしていたことだ。気さくな感じの、親切そうな方だった。ここでピィコのディカプラー(アーノルドカプラーの手動式解放器)を買った。ちゃんとそういうのも置いてあるのだ。・・・ください、とそのお嬢さんとやりとりしたことを、未だに覚えている。

しぐなるはうす: 池袋西武デパート8階にあった。'75年頃までは普通の模型売り場だったのだが、この時代の西武と言えばグループ全体が飛ぶ鳥を落とす勢いの頃で、改装を機にしぐなるはうすという名前で「とれいん」などに広告を出したり、意欲的な商法を展開した。写真アルバムに蒸機のロストパーツとか、貫通幌のようなパーツをファイリングして、目当ての部品を探しやすくしたり、情報交換ノートを置いて、ファン同士の交流を促したりと、アイデア満載のサービスぶりだった。情報交換ノートというのはあれですね、よくペンションとかにおいてあったやつ。ネット時代前は、こういう方法でコミュニケーションを図っていたのだ。突然思い出したが、今、駅に掲示板ってあるのだろうか?
P5130076 六本木駅 2001年5月。
一時期学校の帰りに、ほとんど毎日寄っていた。高校時代、このお店の店員と顔見知りになった。きっかけはたぶん、東武1800(16番)を作るとき、キセが1個のAU11型クーラー(キノコ型のクーラーで、普通は2個一組のキセがついているが、食堂車などは1個キセのものがあった)を、20数個買おうとしたときだったと思う。そんなに売れるものではないので、数個しか在庫していなかったのだ。何回か通って、ようやく目的を遂げた。
ちょっと髪の薄くなった、明るい声の感じの良い方だった。デパートの店員さんと仲良くなったのは、後にも先にもそのときだけだ。

しぐなるはうすに隣接して、船舶模型や素材の売り場があって、真鍮板や工具などを買うことができた。西武デパートで真鍮製模型を作るための材料一切を買うことができたのだ。
たぶん今の東急ハンズや、ユザワヤよりも品揃えは多かったんじゃないかな。考えて見るとあれだよな、今デパートが不振だ何だと言っているが、昔はそれなりに魅力のある売り方をしていたんだよな。

ニットー教材: 西荻窪にあって、自社の製品などはなかったがTMSには1ページの大きな広告を出していた。中1の冬に、なぜかこの店にわざわざ出かけて、TMSのバックナンバーを買った(73年7月号から9月号)。それきり忘れていたが、後年縁があって西荻窪に住むことになったとき、道を歩いていてこの店を見つけてびっくりしたことがある。90年代の初め頃だ。何度か線路などを買ったが、やがてラジコンの専門店になってしまい、さらにそれもやめてしまったようだ。
西荻にはもう一つ、ナカマ模型というのがあって、ここもTMSに広告を出していた。以前は地蔵坂というところにも支店があったが、今は駅前の店だけ営業している。店が近くにあるというのはいいものだ、と当時はありがたがっていた。

吉祥寺ユザワヤ: ここで模型を売っていることを知ったのは、90年代の半ばくらいかな。売り場は度々変わって、地下1階だったこともあったが、井の頭線駅ビルにあった最後の頃は、8階に大きな売り場を構えていた。
一時期、ここの仕入れ担当者は何を考えているんだろう、と思うぐらいものすごい品揃えだったことがあり、とにかくありとあらゆる製品、パーツが揃っていた。ワールド工芸の完成品機関車がやたらとたくさんあって、売れないのかかなり長いこと捨て値のような値段で売られていた。2000年頃は、鉄道模型というより、今のジオコレの走りのような感覚で、ヨーロッパのファーラーとかキブリ辺りのストラクチャーキットを、これまた大量に在庫していた。木組みの家とか、手芸品とかが好きな主婦の人たちにもアピールしたのかもしれない。駅ビルは2010年頃に閉店になった。今は丸井のビルにあるが、以前のような破天荒な品揃えがなくなり、ごく普通の店になってしまった。

新宿さくらや: 最初にここのことを教えてくれたのは友人だったかな。家電量販店が、模型を扱うというのがとても珍しかった頃だ。プラモとちがい、鉄道模型はショーケースに入っていて、店員にそれを出してもらって買うもの、というのが常識だったが、ここでは棚積みしてある車両を買い物かごに入れて買う、というのがとても新鮮に思えた。ディスカウントして売る、という形態も珍しかった(ユザワヤは会員価格で買えたけど)。

家電量販店ではヨドバシ(新宿や吉祥寺)でも模型を扱っているが、ヨドは不思議と模型を買う気になれない。ビックだと有楽町などで売っているが、ここもとりあえず置いてあるという感じだ。さくらや(ホビー館)は場所も新宿で便利だったし、前2社とくらべるとなぜか趣味的な感じがあって、愛用していた。’10年になってさくらやそのものが閉店になってしまい、一部はビックカメラに吸収されたが、ホビー館は継承されなかったのは残念。最後の買い物は、手持ちのポイントを消化するために買った14系客車だった。
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2012年5月 6日 (日)

キハ35系

メインブログの方で久留里線のことを書いたので、キハ30というか、35系の話を。

キハ35とその一統は、近くを走っていた川越線で使われていたので、なじみ深い車両である。
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最初にステンレス無塗装時代のキハ35 904。この頃は正面に東急8500みたいな赤帯を締めていたが、まもなくいわゆる首都圏色に塗られてしまった。
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大宮機関区に憩う35系。既に首都圏色の車両が混じっている。奥に見える方形庫にはこの頃DE10(本線用と入替用)がたくさんいたが、その写真は行方不明。
大宮駅川越線ホームはこの手前にあった。
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南古谷。1984年の夏。この1年数ヶ月後、85年10月に電化され、埼京線との直通運転が始まった。ディーゼル最終日に乗ったが、既にホームのかさ上げや路線改良が進んでいて、見たことのないような路線に生まれ変わっていた。
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おまけ。腕木式信号機。
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時期が前後するが、1980年7月、名松線伊勢奥津駅。ペアを組んでいるのはキハ55。
運休して久しい(もう3年も前)、伊勢奥津であるが、河田耕一氏「シーナリィ・ガイド」(機芸出版社)で取り上げられていたのを読み、個人的にはなじみ深かった。

話は飛ぶが、昨日訪れた久留里線上総亀山駅も、同書で「草深い行き止まり駅」として取り上げられている。構内配線はその頃と全く変わっていないし、駅本屋も基本的に同じだった。(メインブログ参照)。初出はTMSの、たぶん1965年頃だと思うが、そこにもキハ35が既に写っている。もう50年近いわけで、手が入っているし全く同じ車両というわけではないが、同一系列の車両がこれだけ長く使われているのは、考えて見ると興味深い。

さらに脱線するが、木更津駅構内にある機関庫も、「シーナリィ・ガイド」に出ている。外見は余り変わっていないようだ。昔さくら工房というメーカーがあって、ペーパーと角材、wメタルなどを組み合わせたストラクチャー・キットを発売していたが、機関庫と水タンクは木更津をモデルにしたものだった。覚えている人いるかな?水色のケースで、結構流通していた。

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さらに時代はくだり、八高線高麗川。上の名松線時代には既に正面の踏切事故対策、前照灯のシールドビーム化は行われているが、この写真で気がつくのは、貫通扉上部にあったベンチレーターが跡形もないことだ。この車両は内装が更新されており、103系のように薄クリーム色の壁(デコラ交換ではなく、表面に何か張ったように思えた)、焦げ茶のシートに交換されていた。そのときにドアごと交換されたものと思われる。正面ドアのHゴムだけ黒色で、他が灰色であるのもそのためだろう。ちなみに客ドアは金属縁に替えられている。

ドアにあったベンチレーターというのは、103系を知っている人はわかるかもしれないが、上にヒンジがあって室内側からねじのようなものを開けると、下が開くような作りになっている。すきま風や雨が入るのか、川越線の35も含めガムテープで塞いでしまっているのをよく見かけた。運伝代窓右側にあるものも、ベンチレータらしいのだが、ここも同様の機能のものだったと思う。この車はさらにテールライトの近くにもあるが、これはなんだかわからない。

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昨年引退した関東鉄道の35。映画撮影用の水色塗装。あれ、秩父鉄道101が塗り変わる前でしたね。
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通常塗装との並び。
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最後はまともな写真を撮っていないのであれですが、カワイのバラキットを組み立てたキハ30。カワイというとねじ1本で組み立てられそうな気がするが、これはドアも雨樋も自分で取り付ける。初めて作った16番の真鍮キットで、結構ボロボロなんだけど、まだ残っている。

2012年5月 3日 (木)

むかしよく行っていた模型店1

天気も悪いので、前からまとめて書こうと思っていた昔の模型店の話を。ほとんどが廃業になっている。

関口模型店:隣町の模型店(現在も盛業中)の支店として開店したが、いつからかこの名前になった。ちょうど物心ついた頃に開店し、しかも家に近かったのでとても思いで深い。昔は良く夢で、この模型店と思われる店に行って、掘り出し物の模型を見つける、というシーンをよく見た。

店主の方はラジコン飛行機がメインの趣味だったようで、店のレジカウンターのあるショーケースにはエンジンやプロポなどが並べてあった。正面左手にあるドアを開けると、すぐ左は角材やバルサ板などの素材、それに続いて左側にショーケースがあり、主に関水のNゲージと、エンドウの貨車、カツミの電車などがおいてあった。そう、小高の台車もたくさんおいてあったな。

上を見上げると棚に、カツミのEB型電機と貨車、または客車のセットがディスプレイされていた。これらは12,000円。もう少し立派なED型電機と中型客車のセットが16,000円だった。いずれもブルートレインを意識した青色の機関車、客車だった。(貨車セットの機関車はグレーとえんじ)。関水からもセットが発売されていて、フルスケールのEF65と20系客車、R315と直線数本のエンドレスの組み合わせだった。
Scan10015 TMS '74年5月号より
これを毎日のように眺めていた。11歳の誕生日に、これと西沢のパワーパックを買ってもらった。パックは3,500円だったが、二つで12,000にしてもらった。

社会人になってから何度か来たことがあったが、店は息子さんが引き継いでやっておられたようだ。いつだかの正月に行ったら、お父様の方が出てきた。私のことを覚えていたようで「前良く来てたよねえ」と言ってくれた。エンドウの9600が長いこと在庫で残っていて、目をつけていたのだが、結局買えなかった。

隣町の模型屋:上の関口模型のところで触れたが、その本店だった店。店自体はこちらの方が大きかった。大人になってから、ボンベ式のプラモ用エアブラシを買ったことがある。古い在庫品で、事業譲渡して久しいメーカーの製品だったので、サプライは大丈夫か、と聞いたら大丈夫、とにこにこしていた(そのとき何となくいやな予感がした)。

不安は的中して、ボンベ1個分使って、補充ボンベ(事業を受け継いだメーカーの製品)を買ったら、口金が合わず使えなかった(結局そのエアブラシは使い捨て状態に)。苦情を言ったがあまり取り合ってもらえず、取り寄せます(何を??)、といって連絡先をメモしていたが、その後連絡もしてくれなかった。たしかに完全に自己責任なのだが、なぜか店員さんの愛想笑いが今でも目に浮かぶ。

るー模型店:小さな店だが、東武東上線の車窓から見えるので、子供たちの間では有名だった。もっとも、店自体はどちらかというと大人向けで、TMSの広告も「工作を楽しむ店」となっていた。閉店したのはいつだったかなあ。90年代のTMSでは、久我山でライブスチームの店をされている広告が出ていた(ろく工房)。自転車で通っているとき、看板が出ているのを見たことがあったが、お店ではなかったので訪問はしていない。

ホビーショップマックス:今のグリーンマックスである。東武32型(クハユ290?)の側面を模した店構えがとても目を引いた。最初に訪れたのは'75年1月頃、同社が初めて客車キットを出してすぐの頃だったと思う。店は狭かった。入るとなぜか店員が店の隅で客車のダイカスト製床下機器をたくさん並べていた(袋詰めをしていたのかもしれない)。

オハフ61を500円で買った。パッケージ裏に組み立て説明書が書いてあったが、そこに誤植があって、「床板にダイキ中ヤス製の床下機器をねじ止めしてください」とあった(正しくはもちろんダイキャスト)。結構長くこの状態で残っていたと思う。自社の台車がまだなくて、関水のTR11を使うように指定されていた(当時一時的に茶色の紙袋入り-マグネティックカプラーの袋みたいな-で売られていた)が、品薄で買えなかった。

店名にグリーンがつき、電車型の店舗が破棄されたのはそのあとわりとすぐだったような気がする。TMSの広告を丹念に追っていけばわかると思うけど・・。80年代にはビルの2階にかなり広大な店舗を構えていて、ギャラリーや大型レイアウトも設置されていた。さいきんは全く訪れていなかったので、閉店していたことを知らなかった。
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2010年1月。踏切警報器はそのまま残っている。

丸正堂模型店:よく行った、とは言えない。1,2度しか行ってないから。TMSを買い始めたのは74年6月号からで、その前後の広告で成増に開店したことが告知されている。4月号の広告ではまだ池袋にあった。私が行ったのは'77年の春頃だった。駅には近いが、閑静な住宅街で、客は私ひとり。店主はなにやら工作をしていた。なにしろ中学生だったから、孫とおじいさんのような会話をして帰ったのを覚えている。ショーケースにあったC58(たぶん宮沢)が気になったので聞いてみたら、完成品に多少手を入れたのだ、という答えだった。たしか16,000円ぐらいだったと思う。数年前、付近を探してみたが、かなり様子が変わっていて、もとどこにあったのか、全くわからなかった。

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