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2012年3月24日 (土)

103系の記事

鉄道ジャーナルの’12年5月号に、103系に関する記事が出ている。

記事の筆者は言う。103系は山手線など駅間距離の短い路線に向けて作られた特定用途向けの車両だったが、その後量産されて本来の目的以外の路線にも用いられるようになった、と言うのが定説だが、当時の設計者は汎用的な高性能通勤車を意図して造ったものである。
以下、115系などと比較して、高速性能こそ劣るが、トータルでの所要時分は遜色が無く、経済性にも優れる、としている。

かなり面白い説だ。工学院大学の曽根悟氏は、鉄道ピクトリアルの103系特集(何回かあったので、いつのときだったか。たしか’95年4月頃の特集だった気がするが・・)で、この電車がなぜ汎用的に使われ量産されるようになったのか、当時の事情を知っている人がいたら教えて欲しい、と言っていた。たしかに、全く不向きな車両を、財政面や組合問題など諸事情があったとは言え、3,000両も作っていたとすれば不思議であり、何か裏事情があったのではないかという勘ぐりもしたくなるだろう。

しかし、当時の大量増備が状況に照らして本当に不合理だったかどうか、明快な答えを導き出すのはなかなか難しいことだろうし、量産されていた時点によっても答えは変わってくるだろう。一定の時点までは同一性能の車両をそろえることに合理性があるが、度を超すとデメリットの方が目立つようになった、という事もあろうかと思う。

大量増備は今日のE231系でまた再現されている。この状態が20年後にどう評価されているか。

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1979年5月頃。74年から先頭車をATC搭載の高運転台型に置き換え、この年に完了した。すごくいい加減な書き方で恐縮だが(うろ覚えだけで書いているcoldsweats01)、最後に残ったのはクハ103-9,10、 19,20、 103,104、 177,178 当たりでは無かったかと思う。このうち、177,178は冷房試作車だった。

2012年3月17日 (土)

池袋東武にあった大型レイアウト

ウェブで探してみてもみつからないけど、どのくらいの人が覚えているのだろうか?

 池袋東武デパートの本館?駅の中央口地下一階からエスカレーターで7階まで上っていくと、登り切ったところに大きなレイアウトがあった。
 作られたのは70年代の前半だったと思う。少なくとも74年頃には既にあって、それもできてから結構時間がたっていた。無くなったのは77年頃だろうか?

 メルクリンHOのレイアウトで、コインを入れると列車が走るようになっていた。4列車か、5列車ぐらいが、それぞれの線路を走るようになっていたと思う。料金はたしか20円で、主幹制御器のようなものが置いてあったが、実際に制御はできなかった。

 あれはどのくらいの大きさだったかな。幅が5-6m、いやもっとかな。奥行きが2mぐらいはあった。もしかしたらもっと大きかったかも。メルクリンだから風景はヨーロッパ風だ。向かって左側が港で、手前に大きな駅がある。右側はかなり大きな山で、山の上にナロー9mmの線路が敷かれて、駅もあった。駅には客車が置いてあったが、これはコインで運転する対象では無く、いつもとまっていた。
線路配置などは良く覚えていないが、それぞれの列車が干渉しないような、純粋に展示向けの線路配置だったような気がする。

 模型がメルクリンなのは、当時こうしたレイアウトを作るのに最も適していたからだろう。Nはまだ車両が少なかったし、日本型16番は車両こそ豊富だったが、整備性に問題があったのだろう。25年ぐらい前、ドイツを旅したとき、主要駅のコンコースにはよくメルクリンレイアウトが置いてあったが、その制作ノウハウを取り入れているのかもしれない。

 メルクリン自体は、デパートなどを中心に売られていた。今よりもポピュラーだったと思う。システム化された鉄道模型というと、日本ではカツミが出していたが、固定式レイアウトができるようなものではなかった。

 レイアウトはまだしも、なじみの無い車両は子供にはちょっと不満だった。どんな列車だったかは覚えていないが、日本で言えばF級電機が客車1両を引っ張っているような、アンバランスな列車だったと思う。それでも、好調に走る列車の魅力にはあらがえず、時々お金を入れて運転していた。

 短期間だが、池袋西武にもメルクリンレイアウトがあったと思う。
セット線路を組み合わせて作る、トポラマtoporamaというもので、大きさは2m x 1mぐらいだった。複線の線路に待避線と貨物ヤードがついたものだが、ダブルスリップが使われているところが欧州らしい。子供の頃こうした欧州型に触れたことは、どこかで自分の模型観のようなものに影響を与えていると思う。

2012年3月12日 (月)

鉄道模型でいっぱいの31年前の机

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1981年3月頃の自分の机。とてつもなく散らかっているが、今と違って昔はフィルムが勿体なくて、あまりこういう写真は撮らなかった。手前に撮影済みのフィルム(フジカラー)が3本置いてあるので、これは余ったコマを消化するために撮ったのだろう。撮影したフィルムは、所属していた地理研究会の春の巡研(会津)の写真と思われる。

中央にNの東武8000系(グリーンマックスキット組み立て)4両があり、それを取り囲むように当時持っていた16番の電車が並んでいる。中央手前から時計回りに、東武モハ1820、阪急810型M車、東急3450(片運)、阪急810Tc、東急3450両運(3499)、右の2両は東武1800のTc2両、右手前にクハ103。16番は全部ペーパー自作(自分および友人)だ。写真にある車両以外に、1800系1両、近鉄モ6401改フリー1両を加えたものが手持ち16番全車両であった。

一番左奥に東武モハ7820の未塗装車体が見える。前年夏頃から延々作り続けていた、当時としては力作で、相模モーター+デルリンギア使用、定電圧式ライト(テールライトはLED),板バネ式の台車枕梁などの新機軸?を取り入れていた。4月には池袋西武「しぐなるはうす」主催のペーパーキットコンテストに出品、選外展示となる。

東急3450はこの時点でまだ制作中。企画してから形ができるまで、1週間程度でさっと作った。78よりは割り切った構成で、ライトなどは点灯しない。モーターはカツミDV18Cだが、動力側は燐青銅板を使い板バネをきかせ、追随をよくしている。
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床下機器はパーツの使用が多いが、箱形の機器やMGは角材とペーパーで自作している。
窓は1mmアクリル板にアルミテープを貼って、表面を粗面にして枠状に切ったもの。パンタはカワイ製で、これは初採用だったが、なかなか良かった。屋根を塗るとき、つや消し黒に塗った。

このくらいの精度で量産すれば、16番も発展できたのかもしれないが、このあと東武9000系を作り、山陽820型を作りかけたところで、うちの16番の歴史は中断している。


2012年3月10日 (土)

モハ100-1014について

昨年、東日本大震災を特集したサンデー毎日の写真集を見ていたら、津波で流された電車という題で、オレンジ色の車体が転がっているところを写した航空写真に目がとまった。

101-103系のボディだが、オレンジ色なので仙石線で活躍していたとは思えない。ウェブで調べると色々出てきて、これがモハ100-1014である事がわかった。武蔵野線開業時に初期101系を改造(難燃化)したもので、昭和61年廃車、仙台港で倉庫として使われていたらしい。

この、モハ101-1014には記憶があった。昭和54年にスナップ的に撮影した写真に、この車両が写っていたからだ。
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これが現役時代の姿だ。
この頃武蔵野線は全車が101系で冷房車は無し。冷房付き103系が新製投入されたのは翌年昭和55年のことだった。難燃化改造と言っても、内装などは更新されていなかったので、当時としてもあまりきれいな車両であるという感じはなかった。仲間の車両が、今でも秩父鉄道にいるというのが信じられない気もする。

2012年3月 5日 (月)

カワイ Cタイプ入替用ディーゼル機関車

この機関車がまた再生産されているのを、豊沢氏のNゲージ蒸気機関車の記事で知った。
ので、買ってみた。

オリジナルはバックマン社のプリマス ディーゼルスイッチャーだが、日本ではトミーが1975年頃に自社ブランド(トミックスの前のトミーナインスケール)で輸入販売していたことで知られている。豊沢氏の記事にあるように、当時は1,900円だった。色は国鉄色(オレンジ)、茶色(国鉄旧色)、黄色があった。

`76年の夏だったかな、国鉄色を1台、77年春に茶色を1台買った。ライトは点灯しなかったが、点灯可能な整形になっていて、一時期米粒球をつけて点灯させていた。そのうち熱でボンネットが変形しかけたので取り外した。ダイオードなどをつけていないので、前後進共に点灯した。
やがてキャラメルモーターを押さえていたプラ部品が馬鹿になってしまい、1台ダメにした。

79年8月、ボディを2台中央で切り次いで(キャブ以降を使用)、関水の集電可能パンタをつけて凸型電機を作った。一応、パンタに配線しておいたと思うが、レイアウトに架線を張ったことはない。機関車の名前はE816だった。8月16日に完成したという意味だ。色はぶどう色2号。今でも実家にあると思う。

制作のヒントは、トミーのカタログではなく、たしかプレイモデル(鉄道模型趣味の別冊。今のNゲージマガジンの前身)に載っていた写真のような気がするが、記憶がはっきりしない。はっきりしているのはTMS76年7月号のNゲージレイアウト(三郷鉄道)に載っている青い機関車だ。これも2台切り接ぎだ。そういえば2台の動力を使って、1C+C1の旧型電機風のモデルも紹介されていた。

その後97年頃だったろうか、今はなき三星商店扱いで、復刻発売された。
2台セットになっていた。
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値段は倍以上になった。
この頃は常設の線路もなくて、単なるコレクターになっていたので、あまり運転した記憶がない。
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色は以前持っていたのと同じ組み合わせ。
2006年秋頃、A2版のパネルに簡単なレイアウトを作ったとき、箱から取り出してみたら、動輪のギア(デルリン製?)にヒビが入っていた。
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ご丁寧にも各車両とも1軸ずつ割れている。瞬間接着剤で応急修理したが、ゴトゴトと音がするし、どちらかはそれでも動かなかったと思う。

ちなみにさっき、バックマンのオンラインショップを見たら、動輪セットがUS$6で売っている。何となくカートに入れて、決済しようと思ったら、送料がUS$36.5、合わせて42.5ドルになってしまう。かなりひるんだが、勢いでカード決済。ところが、何らかの理由で決済できない。別の決済方法を選んでくれと言う。結局キャンセルしてしまった。ドル安とはいえ、車輪3対で3,200円ぐらい。2台のうち1台廃車して、部品取りにした方が現実的だろう。

さて、やっと今回の製品だ。
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右が今日購入した製品。ワム80000は2種類あり、一つは盛岡客貨車区 救援車代用とレタリングされたもの、もう一つはFRP屋根でテールサインのついているもの。
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外見は全く変わらない。動力は97年版も今と同じで、ライトが点灯するのも同様。97年版の方はバリの処理後が残っている。

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右側が今回製品。細かいことを言うと、ギアや車輪の色(黒染め)、車輪押さえのモールドが違う。
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これでこの35年間に5台買ったことになる。同一形式5両は当鉄道最多。
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スケールものや真鍮製の精密なものより、本当を言うとこういう適当に簡略な模型の方が好き。昔はそういうスタンダードな入門機があったが、今は世界的に見てもあまりなくなってしまったようだ。

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