2019年9月19日 (木)

事故

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TJに乗るには、池袋にちょうどいい時間に着いている必要がある。発車時間ギリギリとか、発車まで20分以上待つようなときは縁がなかったと思ってあきらめることが多い。その日は池袋にちょうど20分過ぎに着く見通しだったので、こりゃスムーズと思って予約を入れた。

山手線を降りる直前に事故の第一報がメールで来た。ありゃ、と思ったが、ホームを見ると普通列車がゆっくり動いている気配がある。指定席券ページ(ウェブ予約)は既に開いてある。。改札口に着くと、案の定TJはウヤ。列を作って払い戻ししている人が見える。

聞くと川越市で折り返しだという。ちょうど準急川越市が来るところだったし、ホームは空いていたのでドア前で並び、列車が来たら座席に落ち着いた。遅れるのはやむを得ないにしても、座って本でも読んでいればよい。

やがて車内が混み始め、座席の前にも立ち客が増えてきたが動く気配はない。イヤホンで音楽を聴いていたので、案内放送は良く聞こえないが、とにかくまだらしい。

そのうち、前に立っている男性3人がはっとして互いに目を合わせ、列車を降りていった。他の客も次々と降りていく。こりゃなにかあったかとイヤホンを外すと、この準急、今日は運休になりこれから回送列車になるから降りてくれと言っている。。

仕方ない。反対側のかなり混んでいる急行小川町行きに滑り込む。これももう30分以上駅に停車し続けている。車内の人は相当疲れていることだろう。。

ところが、車内で待って5分ぐらいしたころ、また何人かの人が外に出ていく。今度は全員ではなく、まだ立ち客は大勢いるがだいぶ空いてきた。今度はなんだ、とイヤホンを外すと、4番線の各停川越市行が先発するというアナウンス。

迷った。降りるべきか否か。各停だと、今乗っている急行に途中追い越される可能性もある。ただしこれだけダイヤが乱れているので、必ずしも追い越されるとは限らないが。

考えていても仕方ないので、私も降りて車掌に声をかけてみた。

車掌は私にもわからない。各停が出てすぐこれ(急行)も出ればいいが、それもわからない。運転指令が決めるので、私が決めるわけではない。。なんだか話好きの車掌さんという感じで、話が終わらない感じだが、とにかくわからないのなら仕方ない。各停に乗ることにする。

池袋に来て、TJ、準コエ、急オカマと乗り継いで?きたが、さっきからぜんぜん移動していない。。そして普コエ。4番目の電車だ。。

こんどは動いた。

途中中板で待避線側に入り、おお、やられたかと思った。結構な降車客があり、ドア付近にいたのでホームに出た。本線を急行が通るかなとしばらく外にいたが、車掌が笛を吹く音を聞き、慌てて乗り込む。待避線には入ったが、すぐに出発だ。

和光市で地下鉄和光市行を2本接続する。ほとんど続行運転に近いようだ。1本は7000系、後続はMM500系。

朝霞台では緩行線ホームに各停志木行きが長時間停車中。これは10030系だったような気がするが、自分たちは各停なのに各停を追い越すみたいだ。志木までやや徐行運転。志木の緩行線ホームには9106Fシリコ行きが停車中。こちらが先行すると。空いていたので座れた。

もう0時は回っている。。

ふじみ野では志木まで乗ってきた川越市行が退避し、池袋にずっと止まっていた急行小川町を待ったらしい(実際にはそこまで見ていないが)。聞くところではこのあとも2時半過ぎまで終電を延長して?運転していたようだ。

事故は鶴ヶ島で起きたらしいが、正直、運転指令に振り回されたな。

2019年9月 8日 (日)

愛される京急

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ここは不定期更新のブログなのであまりこういう感想みたいな話はどうかと思いましたが・。一応この時代の備忘録として。

例の新町駅の衝突事故、現場の方々の必死の努力で2日ぶりに運転再開となりました。脱線した最後の先頭車は6日深夜に復線して手押しで区に戻ったようですが、あれだけの激しい衝突にもかかわらず、車体のひずみが非常に少ないように思えました。亡くなられたトラックの運転手さんにはご冥福をお祈りしたいですし、電車の運転士さんをはじめ、けがをされた方々にもお見舞い申し上げたいですが、あのしっかりした車体が被害の拡大を防いでくれたようにも思えました。

最初にニュースを知ったのは偶々出先で見たツイッターの画像でしたが、一瞬それが現実か映画かなにかなのかわかりませんでした。。これも繰り返しネタにしていたのであれですが、京急800が品川付近でゴジラに吹っ飛ばされる、という映画もありましたもので。。

その後も情報は色々ネット上でかわされているのを見ましたが、目立ったのが京急を応援しようとする動きです。#がんばれ京急 というハッシュタグも登場しました。すごいと思ったのは、駅の改札に掲げられた運転見通しの張り紙に、「暑いですから作業の方々水飲んで熱中症に気を付けてください!」と付箋が貼ってあった、というつぶやきです。これだけ愛されている鉄道というのも、そうはないでしょうね。。

もっとも、ネット民がマスコミを攻撃する姿も目立ちました。ニュースなどでは住宅密集地を120km/hで走り抜ける列車とか、運転士は運転歴1年1か月と報道し、これにファンが食って掛かるという情景が目立ちました。要するにマスコミは京急(鉄道 / 企業)を批判的な色眼鏡で見ている、ということへの怒りです。

マスコミに対する不信は今に始まったことではありませんが、それが鉄道界にも及んできたか、という感じでしょうか。。

ただ、あんまり感情的なファン発言もどうかと思うけどなあ。運転士の運転歴(飛行機ではよく気にされるけど)は関係ない気がするが、制動地点、制動初速、衝突速度も現時点では正式な公表はない。障害物検知装置が所定の作動をして、運転士が即座に非常制動をかければ踏切直前(数10メートル前らしい)で停止することはできていたはずであり、鉄道も原因を究明中、ニュースでもそれはきちんと報道している。

なので、あとは原因究明を待つしかない。

障害物検知装置と車両の非常制動との連携というのはあれか。東武東上線成増駅の川越方踏切のやつか。ふつうに週5日通勤で往復すると、ひどいときで10回のうち5回ぐらいは非常制動かかってる。下り列車が成増駅停車のために減速していいる途中でもかかる。後ろの車両はまだホームにかかってないので、停止後徐行して所定位置に移動する。2年前の踏切障害以降の措置なんだろうな。ほかにも志木ー柳瀬川間とかもよく止まったが、最近はあまりないな。ネットでちょっと調べてだけではわからなかったが、すべての踏切に適用しているわけではないのだろうね。

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それはともかく、マニアだけではなく沿線の一般市民にも京急、相当愛されているのですね。世の中には東急ファンも多いだろうし、京王も小田急も広く人気があるとは思いますが、ここまではどうかな。。知人の女子鉄の子も、熱心な京急ファンですし。

初代1000引退のとき、ここで写真撮っていたら、踏切待ちのしらないおばさんに「なにか珍しいもの来るんですか?」と聞かれたことを想いだした。

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京急の模型は持っていないので、なにかすぐ手に入るのないかな、と探したけどちょっとお安いのがないですね。。プラレールがけっこう充実しているなあ。。

 

 

 

2019年8月26日 (月)

葛生

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佐野線というと、2年ほど前に渡瀬に行ったことがあります。ドライブというか、車のタイヤの調子を見る次いでだったのですが、今回も目的は似ていて、交換したタイヤの高速度試験?を兼ねています。

何となく気になっていた葛生に行ってみました。

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かつては貨物輸送が非常に盛んであり、広い構内に貨車がひしめいていたという話ですが、今は数本の留置線を持つ平凡な終端駅になっています。

貨物営業の廃止は1997年と比較的新しいのですが、とはいえ20年以上が経過しており、JRなどによくみられるがらんとした風景が広がっているだけになっています。

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空地利用として、ソーラーパネルがたくさん置かれています。

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終端部の、かっては踏切だったであろうところから。この先線路の途中に車止めがあり、車両がここまで来ることはありません。

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ウェブを探していると、廃線跡探訪の記事がたくさん見つかりますが、ぱっと見架線柱跡とかも見当たらず、いちおう会沢線のあったであろう方向を車で追ってみる程度に留めました。石灰工場は今も操業しており、住宅も多いので古いものは片づけられてしまったのでしょう。

終点会沢駅近辺?に、倉庫利用されているらしい貨車を見かけました。

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門扉がなかったのでちょっと失礼して近寄らせてもらいましたが、東武ワラ1が4両置かれていました。足回りは埋まっていますが、少なくとも手前のワラ80は車輪がついています。昭和56年ごろの全検表記がうっすらと見えました。

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列車本数はそこそこありますし、りょうもうも走っていますから、それほど侘しい感じではありません。

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この辺りの経済は全く分かりませんが、沿線には住宅や商店も結構多いようです。

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葛生付近は撮影しにくいので最後は多田まで行って撮影。ここにもソーラーパネルがあります。

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こんなものを見つけました。

それでは。

2019年8月17日 (土)

「清流」とわたらせ

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先日連休のときに行ってきました。

朝出かけようと思ったのがもたもたしてしまい、営業時間がおわらないかひやひやしました。。

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有名なこちらです。

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東武車を使ったレストラン訪問としては、5月のマスタードシード以来です。

といっても、これで打ち止めでしょう。ネットで見かける6000系の車体のある割烹は閉店済みらしいし。

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1723と1725が利用されています。

入り口を入ると調理場と売店があり、車体は左右に分かれておかれています。1725のほうは使っているのか、確認しそびれました。

 

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テーブルはノンオリジナルですが、そのほかは現役時代(たぶん末期)のままのようです。

マスタードシードさんよりもオリジナルに近く、かなり良い状態を保っています。

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このクリーム色の壁も久しぶりですね。。

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車内の番号板も残っています。

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台車は黒色に塗られているようです。アルストム式FS334は登場当時の台車で、横揺れがするということで確か1969年に2000系を増備するときにそちらに譲り、別途新製されたSU軸受式の台車に振り替えられています。が、当該台車は200系を作るときに使いまわされたので、また戻ってきたのでしょう。東武博物館の保存車両もそうなっているようです。

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メニューは普通の駅前食堂的なもの。肉蕎麦、けっこうおいしかったです。

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食べ終わったころに列車が来たので、見てみます。

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ちょうど離合しました。

お客さんは結構乗りました。本数は少なくて、このあと臨時トロッコ列車を除くと1時間以上列車は来ません。

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話は飛びますが、ここでレンズ交換をするとき、どうもセンサーにゴミを付けてしまったらしく、このあとしばらく画像にゴミが写っています。。

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臨時トロッコ列車わっしー6号。

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別途DLと客車によるトロッコ列車もありますが、こちらは自走式トロッコ(550型)。

要するに窓なし(取り外し式)木製座席の車をトロッコと呼んでいるようです。

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昔飯田線のトロッコ列車に乗ったことがあったな。まだDE10とオハ46、トラ90000のころ。2軸貨車のゴロゴロした乗り心地、なんとなく覚えてる。

この日はバスツアーの団体客が大挙して乗車していました。

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しゅっぱつ。

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私は車で、このあと大間々に急ぎます。

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別に急ぐことないのですが、ちょうどトロッコがついたころ、こちらにつきました。

左上にセンサーのゴミが(x_x;

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オリジナルというか、もとからあったトロッコ列車。

京王5000系っていうのが何ともあれですね。。

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国鉄色DE10。いつの間にか希少な存在になったな。。

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ここでも離合します。

この塗装はなかなかいいですね。ちょっと阪急というか、能勢電を思い出します。

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わたらせ線の線路は木製枕木が主体というか、ここで映っている様子をみると全部木製のような気がします。

蒸機時代のサブロク線路として、目立たないけど非常に希少な存在ですね。。

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線路の整備は非常にしっかりしているようです。

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車両基地はモダンなもの。

今回は乗り鉄でも撮り鉄ともいえず、昼飯鉄程度の訪問でしたので、いずれまた再訪したいものです。

このあとカメラの修理が必要かどうか、見極めないとな。

 

2019年8月10日 (土)

京福三国芦原線

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家庭事情などもあり、鉄道関係のことは滞っております。まあ、何もしていないわけでもなくて、偶々鉄道にスポットが当たらないだけですが。うさぎ鉄道の運行は続いていますが、それだけではわだいになりませんね。。

今回の写真は1995年夏、京福電鉄三国芦原線です。このときは越前本線と三国芦原線、福井鉄道に乗車していますが、運行ダイヤの関係か廃止になった永平寺線には乗車しておらず、無念であります。。たぶん探せば、もっと昔に永平寺付近で撮影した旧東急3300型の写真があるはず。

米原から485系「雷鳥」か何かに乗って福井へ。最初に三国芦原線に乗車したような記憶があります。

もうこの辺りからあらゆるところがすっかり変わりまくってますね。。

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この写真はたしか再掲だったような気がします。阪神時代を彷彿とさせる車内。非冷房、吊掛式ですが、当時としてはそれなりに整った接客設備だったと思います。

そうこの年の1月に阪神淡路大震災が起きたのでしたね。

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三国港駅。この頃は洗いざらしのような外観でした。ウィキを見ると、今はだいぶ改装されて今風になっており、側線も整理されたようです。

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当時の駅前の様子。レイアウトに再現させてみたくなるような雰囲気の街ですね。

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駅構内。これは昔国鉄の駅だったものを譲り受けたそうで、ホームも長く立派なたたずまいをしています。

遠くに煉瓦のアーチ橋が見えます。

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その橋から発車しようとする列車を見下ろした姿。というか、慌てて撮ったんでしょうね。

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終端標識。

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D16系の台車。もとの車体は阪神5231型ジェットカー、足回りは南海1201型です。

京福時代の車両はウィキでは一覧しにくく、追いにくいようです。

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来るときに乗った2115を見送って、帰りはこれに乗ったようです。この記事を書くまで、ラッピングされていたのはカメだと思っていましたが、たぶん恐竜ですね。。

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車体ラッピングはわりと今風だな。。平成初期、四半世紀近く前ですが、今見るともう見られないような古典的な装備や施設などがあちこちにあって、時代を感じさせるなあ。

山手線は205系、中央快速は201系、西武(新宿線)にはまだ701系や101初期型がいたころですね。。丸の内線にはまだ500型がいたんだった。。

今はえちてつですか。。福井駅も大きく変わったようだし、行ってみたいかと言われると、う~ん。。

 

2019年7月20日 (土)

中学生の頃作ったレイアウト

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ずいぶん昔に一二度写真を掲載した記憶があるけど、あまり詳しいことかいたことなかったかな。。

撮影したのは昭和52年の、試験休みのころじゃなかったかと思います。この年の夏は学校で岩手のほうに登山にいき、また鉄道研究会だったので、碓氷峠の横川機関区を見学に行っています。家族旅行に行った写真も残っているけど、順番がどうだったのか忘れてしまった。たぶん、横河機関区と前後してこの写真を撮ったのだと思うのだけど。。昔はどこかに出かけて、フィルムが余ったので、適当にその辺の写真を撮って終わらせて、現像に回すとかしていましたね。そういう写真かなと

なので、この写真に写っているレイアウトは未完成です。もっとも、最後まで完成するという形にはならなくて、この年の暮れに廃線になっています。ご覧になるとわかりますが、本線が駅手前で途切れていますね。。

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このレイアウトの原型は、前にも書きましたが鉄道模型趣味74年6月号折り込みの、中尾豊氏の記事です。今のうさぎ鉄道はそのオマージュで、ドッグボーン型の本線、左側に機関庫、奥に川と鉄橋、右側の切通しを抜ける内周線とトンネルに入る外周線などのあしらいは、ここからきています。ほんとうは外周線のトンネル途中から支線が分岐して、レイアウト中央を築堤で横切って左側に駅があるというプランでしたが、この写真には見当たりません。

上の写真の一番右は行き止まりの道と商店街、一段上がったところに空き地(トミーの教会を置く予定だった)。溜池らしきもののわきに貨物駅からの引上線が通っていますが、これはこのレイアウトで一番最初に着手したところです。本来は機関車が貨車の入換えをしながらリバース線を抜けて転向する(蒸気機関車主体のレイアウトでは重要なファクター)ためにあります。草深い山の中に線路が突っ込み、車止めがあるという雰囲気が最高に良くて、一人よくもの思いに浸っていたものでございます。。

で、さいしょに作ったせいかポイントなどの調子が悪く、作り直しているようです。なぜか103系が2両で走っている本線の先、線路は比較的直線気味に走っていますが、ここは本当はもっと手前のほうに曲がっていました。上の全体図を見ると、廃線跡がわかります。

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駅にとまっているのはトミーナインスケールのタキ30002両とワフ28000です。タキのうち1両は今でも元箱付きで残っています。

奥の留置線にいるのは左からトミー香港製DD13茶色、これは当社2代目で、比較的よく走りました。中央はトミーの2軸貨車の下回りを使った自由形デハ104。車体は紙製、屋根はバルサ。ベンチレーターはGM客車キットのガラベンでパンタはたぶん関水PS102。2扉、1段下降窓で、正面は東武モハ1101のような、中央3枚がやや高くなった5枚窓です。塗装は当社標準の窓周り灰、窓上下青の2トーン。雰囲気近いのは京成青電(あれよりは色がはっきりしている)。近代化改装後という設定なので、窓はアルミサッシ、方向幕の小さいのがついています。のちに火災事故復旧で、片側が上信1000型にちょっと似た3枚窓に改装され、どういうわけかその正面部だけクリーム色1色になっていました(バンパーはグレイ)。

車両の説明が長くなってしまいましたが、ホームは本来2面3線で島式のほうは待避線側がカーブした形でしたが、うまく作れなかったらしく、ここも線路を剥がしてホームも直線状のものに取り換えています。このホームはホウの木からの自作。へろへろの屋根はHO波板(機関車の側面ルーバーなどに使う、真鍮プレス製)をはんだ付けしたもの。柱はたぶん古レール。手前のホームは仮置きで、学研の都会型(改良品)というもの。ここにも昔バルサの自作ホームがあったはず。

駅本屋は上の写真には見当たりませんが、この頃は「レイアウト・テクニック」の記事を基に作った日本風のものを自作して置いていました。初代は「シーナリィ・ガイド」の記事から、奈良線玉水駅を模した近代的な建物(表面は石造り風)でした。写真ではトイレだけ置かれているのが見えます。これも自作でした。

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中央の貨物駅も仮置きで、学研の都会型ホームの片割れです。貨物上屋は作りかけているらしいが、もともとホームとともに一度完成させていたような記憶があります(写真でもホームを剥がした跡が見えます)。遠くに機関支区(元のプランではただの駐泊所のはず)が見えます。さいしょはプラン通りに作っていたものの、そのうちだんだん脱線して、当時フライッシュマンで6000円で売られていた(当然当時としても安かった)手動ターンテーブルを設置、切通に突っ込んでいた引上線(ターンテーブルのわきを走り、トンネルに突っ込んでいた)は、なんとなく鉱石積み込み線ということになって、トミーの給炭塔を置いていました。

機関庫はフライッシュマンの石造りで、あまりに日本風ではないので後にバルサ板を表面に張って改装しようとしていました。白く見えるのはトミーの給水タンクで、当然アメリカ風ですが気になるので表面に画用紙を貼って、金属タンクにしようとしています。給水タンクはもともと、缶が金属風ダークグリーン、脚がコンクリート風グレイのものを自作していたのですが、壊したのか気にいらなくなったのかここにはないですね。

ごちゃごちゃしているポイントはミニとリックスのR1対応(要するに小型ポイント。曲線半径192mm)の電動ポイント。名古屋の高校生の人が「とれいん」の交換欄にだしていたのを連絡して買いました。6個買ったかな。まだ持ってると思います。

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機関区側ですね。ターンテーブルに乗っているのは当社唯一の国鉄型蒸機D51(関水)。狭い切通しの手前、GM製詰所のわきから顔を出しているのは、ポイントと一緒に買ったミニとリックスT3型蒸機。さっきのDD13は左に見えます。その手前に、トミータム6000の足回りをとったタンク(たぶんディーゼル燃料供給施設のつもり)。右側に見える廃墟のような建物は、本当ならレイアウト左側に位置するはずだった支線の駅舎らしいです。モデルはたしか、「シーナリィ・ガイド」の記事から久留里線上総亀山の駅舎を参考に作ったと記憶しています。

この写真の後、正面右側(いちばん上の写真で言うと下)のトンネルを完成させ、また奥のほう(同右側)の川も底を作って青く塗り、それらしく仕上げています。上を鉄橋が通るはずでしたが、結局外周線はさいごまで完成せず、内周線しか運行できませんでした。右側切通し(同下側)のカーブの途中に、フレキシブル線路のジョイントがあり、そこで脱線が頻発して悩まされたことをよく覚えています。

制作開始は’76年の6月ごろ。その前にフレームだけ春に完成していて、別のプランが用意してあったのですが途中で心変わりしてちがう配線で着工しています。本格的に作り出したのは夏休みで、冬には内周線がいったん開通し、2交代で列車が走れるようになりました。

その後も制作してはぶっこわしを繰り返していましたが、’77年の12月にいったんご破算にすることにした(フレームは5mm板の上にいくつか角材を置いて、その上に3mm板を乗せた変わった構造で、色々問題があった)ため、廃線、解体してしまします。

’78年の1月には新たに12mmの板に8の字変形のレイアウトを作り、車両も増備してしばらく遊びました。これはシーナリィつきに移行しずらくてまた解体、分割式のレイアウトを作りかけますが、接合が難しくて難航、分割をあきらめて真ん中でつないだタイプを’80年1月ごろ着工して、2年ちょっと手を加えていますが、これも挫折。という具合で5年ほど作っては壊しの連続でした。。

そんな昔話でございました。

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ちなみにフィルムの前後に移っていたひとつがこれです。

大宮駅。わかりにくいけどキハ58の修学旅行塗装(黄色とオレンジ)です。

たぶん横川からの帰りだと思う。

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もうひとつがこれね。

ではでは。

 

2019年7月10日 (水)

うさぎ鉄道のメインテナンス

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レイアウトの天敵はホコリ、と昔から言われています。前宅よりは埃の被害は少ないですが、現状常時出しっぱなしで週に4-5日は運転する(時間は短いですが)状況なので、日常の手入れは欠かせません。

特に樹や草などは埃が溜まって、白っぽくなってしまう。荒っぽいレイアウトですが、やはり何とかしたいところ。

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・・なのですが、作業はなかなか進んでいません。

手前のターフは完全に白くなってしまいました。奥のほうから少しずつ、洗剤と水で清掃しています。

地面、道路も一部ひび割れているところがあり、もう少し補修作業を加速したいところ。

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話は飛びますが、レイアウト上の車を少しグレードアップしようと、初めてバスコレを買ってみました。

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・・これ、この先走ると腹こすりそうですね。。

このシリーズを買うのは初めてですが、最新鋭のバスはうちのレイアウトには似合わないので、色々さがしてこれにたどり着きました。

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・・バスがリアルなだけに、道路状態が。。

ウェブで何買うか物色しているときは、なじみ深い関東バスか西武バスのほうがいいかとも思いましたが、いずれも最新型でしたし、これもそれなりに。。祖父母の家の近くはこれ(国際興業バス。王22系統という意味ではない)が走っていたので、懐かしい感じはします。地方でもこの色で走っていた気が。。確か、盛岡あたりだとこの色や、東急色のバスを見たような気がします。。

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これはトミーテックが会社で動態保存する目的で、譲り受けたバスの模型なのだそうです。

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最初のレイアウト上の写真はPentaxKP+Tamron90mmマクロで撮ったのですが、手持ちで適当に撮ったので被写界深度が稼げない。。

面倒なのでコンデジに持ち替えます。

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エリア的には板橋、北区あたりと、埼玉でも東上線よりは東方面ですかね、国際興業は。ららぽーと富士見にも来ていますが。

覚えているのは、蓮沼のエコーモデルに行くとき、池袋東口の前の三越のあたりから乗っていったこと。

うん、だんだん思い出してきましたね。床がまだ木(旧型電車のような)だったでしょう。これは違うかもしれないけど、リベットもかなり遅くまで使っていた。

方向幕が大きくなったモデルは、経路図の鉄道と連絡する停留所に、そこの電車の前面のイラストが描かれていて、あれはわかりやすいな、と思っていた(西武なら黄色い101系とかの絵)。今のLED表示ではちょっと無理かな。。銀色に帯では、パッと見何線かわかりにくいだろうし。

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うさぎ鉄道にある自動車は、ほとんどが昔もらった缶コーヒー(たしかBOSS)のおまけです。12~3年前、コンビニで売られていたコーヒーには、時折そういうおまけがついていた。なので、フェアレディS30とかコスモ、コロナ1600GT,R32GT-Rとか、スポーツカーばっかり走っています。。今まで置いてあったバスはたしかヨドバシかどこかで買ったもの。あれはどこ製かな?

バスもこうして選んでみると面白そうだけど、あまりはまると何なのでこの辺にしておきましょう。。

 

 

2019年6月30日 (日)

小田急4000型

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こちらへの掲載は遅くなりましたが、鉄コレ小田急4000型(初代)を導入し、N化しました。

購入した日は平成最後の金曜日であった4月26日(たしか)、平成最後の模型購入でした。が、実はもう一つ買ったものがあって、そっちはまだ手を付けていません。

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パーツも一緒に買っています。この時点で東武8173F、8520FはN化する順位が後回しになっています。ラーメン屋さんで、メニューによって注文と提供の順序が前後する場合があります、と断りが書いてあるのと同じですね(どこが?)。

その日のうちに組み立てたのではなく、5月3日に組み付け完了しているので、これが令和最初の新車となりました。

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4000型のことを調べようと思って、家の書架を探してみましたが、うちには保育社カラ―ブックス「小田急」1980、交友社「私鉄電車のアルバム3B 1977、「私鉄電車ガイドブック 西武・小田急・東京モノレール」1978しかなくて、いずれも吊掛車時代の記述しかありません。ピクトリアルの私鉄特集ものは、小田急は買ってないんですね。。

今の人が小田急4000と聞いたら、ふつうにあの狐顔の乗り入れ用車両を思い浮かべるでしょうし。。

高性能化されてからの4000型に、乗ったり見たりした記憶があるかといわれると、よく覚えてないな。。新宿だか代々木だかで、吊掛モーター響かせながら走っていたのは耳に残ってますが。。

関係ないけど、カラーブックスの「東武」がどこか行っちゃって見当たらない。「西武」もどこかに行っちゃってる。「鉄道ファン」69年3月号と12月号(それぞれ101系、5000系が表紙)もずっと探しているのだが。。

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小田急の車両自体、うちに入線するのは初めてです。まあ、京王、京成、京急、南海、西鉄もない。

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・・と、思い出したけど、昔Bトレインを組んだことがあったんだ。

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甥に江ノ電を買ってあげたら、「通勤電車がいい」と拒否されてしまったので、急遽買い直したんだった。もう15年前、2004年のことです。なんか、そんな前のこととは信じられないですけど。

Bトレインも、やめちゃったみたいですね。

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光線の具合とかでいろいろあると思いますが、ロイヤルブルーの色合いがなんとなく浅いような気がしないでもありません。。

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・・ただ、この辺は難しいところで。

面積が小さいとまた見え方も違ってくるし、室内光とか、写真なら撮像素子(昔ならフィルム)でも違ってくる。ペンタックスで撮る西武黄色はいつ見てもなんか変だし。。

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M車はパイオニア台車ではなく、部品を流用しながら新製したらしいですが、ディスクは露出しています。模型では銀色の表現がないので、塗った方がいいかもしれません。

4000型は戦前の2扉中型車を更新(部品流用、車体新製)した車両ですが、紆余曲折を経ながらも次第にグレードアップして、形の上では2600型などと同じような冷房付き、新性能(WN駆動)、エアサス台車まで登り詰めた大器晩成型、出世魚?電車です。

同じような例は西武401系(もと411系を冷房化、足回り新製)、相鉄3100系(おおもとは割り当ての国鉄63型、一部台枠利用、車体新製などで新性能化、最後はVVVF化)、国鉄103系3000番台(もと72系を仙石線用に車体更新、更に川越線用に新性能化、冷房化)、近鉄1000系、1200系(戦前の2200型の主要機器利用、車体新製車。1200は最初から冷房付き。後にWN駆動化)など、まだ私が知らないのもあるかな。近鉄はWN駆動化に際して800系等のモーターを利用してますから、小田急と近いですね。いずれも輸送需要の伸びへの適合、投資タイミングの分散化など、一定の必然性から取られた措置ということなのでしょう。

そういう意味では、東武5000系列もやれば高性能化して、今でも野田線走っていてよかったような気もしますが、総合的にみて時期が合わなかったのでしょうな。2000系の部品を使うとかも難しかったらしいし、2080は冷房つけないし、1800も転用しちゃって両数少なかったし、8000の車体入れ替えるってのもあれだし、どうにももったいなかったねえ。。6050も、もっとちゃんと売り込んであげれば。。

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ちょっと見えにくいですが、出荷時からついている急行江ノ島行き。アマゾンのカスタマーレポートでは、4連の方が小田原行きで6連が江ノ島行きなのは変だ、と突っ込まれています。たしかに6連箱根湯本行き、4連江ノ島行きと多層立てしていた時期があったので、その方が自然な気がしますが、他方6連だけ買えばこれはこれでありのような気もします。いずれにしてもあまり実物知識がなくて、時代考証もよくわからない状態でして。。

多層建て列車、懐かしいです。小田急もそうですが、西武も拝島・西武遊園地行きが多数運転されていて、分割放送もされていました。最初が10両全体、次いで4連の乗客に萩山から西武遊園地に行く旨、6連に拝島に行く旨それぞれ放送(逆だったかもしれません)。小田急も分割するのが普通だった気がしていましたが、いつの間にか。。どんどん知識を更新していかないと、時代に乗り遅れますね。もう手遅れか。。

というわけでした。

7/1追記;一部書きなおしました。買ったその日に組んだように書いてましたが、真意は平成の終りに買って、令和になってから組んだとの意。

 

2019年6月23日 (日)

おけいはん

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3000系(初代)が登場したのは昭和46年春のことで、その頃はおけいはんみたいなのりはなかったかと思いますが・。

関東の東武に相当するのが関西の近鉄で、阪急はやはり東急だとすると、京阪は京王でしょうか。。トラム出身というところも多少つながりがありそうですが。

もっともその例えにも無理があって、空港つながりで京成が南海、海寄りの工業地帯を走る京急は阪神、となると西武と小田急に相当する鉄道がなくなってしまう。。南海はちょっと東武なところもありますね。。

で、京王の5000系と京阪3000、パノラマミックウィンドウのあしらいなど、ちょっと雰囲気近いものがありますね。人を驚かすような斬新さはないが、非常に完成度が高いという。。

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金曜日に、なんとなくウェブを見ていたら京都の模型屋さんに在庫があって、衝動的に買ってしまいました。。

個人的に印象に残る車両の中で、この先製品として顧みられる可能性があまりない車両だろうと思って。

さいきんはそういう意識を持ち始めています。。今、製品企画をしている人たちは、たぶん自分と同じ世代だろうけど、この状態はいつまでも続かないだろうと。東武8000の8Rとか、9000系の登場時姿なんて、今の若い人にはあまり念頭に浮かんでこない姿のはずです。。

それはそうと、3000系はNではエンドウの金属製品が有名でしたね。エンドウは私鉄電車は近鉄30000が最初で、これは欲しかった。14,800円という値段まで覚えています。今思うと割と関西ものをよく作っていて、近鉄はほかに12200、3000系(実物は1編成のみ作られたステンレス、電機子チョッパ車)、8800系(この車種選択も微妙)、初代あおぞらなど。京阪も5000系5扉車を作っています。関東は京王5000,3000(前面が交換できる)、都営10系あたりかな。今ネットで見たら、京成初代AEもあったみたいだけど、覚えてないなあ。

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こうして並べるとほっとしますね。これこそ日本の電車という感じで。

色がまず日本ですよね。関東だとこの黄色は出なくって、もっと原色に近い黄色になってしまう。。京急とか。。

一般車の若草色も、こういう色使いは関東にはないですね。。

などといってたら、今の某銀行色を見るとちょっとあれですが。。

京阪と阪急でくらべたら、京阪の方がずっと京風です。阪急はもともとあれですからね。京都に来てるのは新京阪ですし。。

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実物の窓枠は昔の京急1000(初代)みたいに、アルミサッシュの窓隅にRをつけた、優雅なデザインですが、模型では中央のサッシュのみ表現してそれ以外は省略しています。近くでみると物足りない感じもしますが、エンドウと違って車体がプラなので、ごつくなるのを避けたかったのでしょう。

テレビアンテナはユーザー取り付けですが、まだつけていません。列車無線とか、めんどくさくてつけないことが多いのですが、これはつけないと様にならないですね。。

ちなみに本製品の時代考証はいつ頃なのか、実物知識がないので不明です。。登場時かな。。

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79年8月。ちゃんとした写真があるか探しましたが、こういうへんてこなやつしか残っていませんでした。

中央に移っているのが3600型(T車)です。割とすっきりはしているけど、多少の床下機器はあるようです。今回の模型のように、片側まるっきり床下機器なしということはないです。

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車内は当時見ても普通で、悪くはないですが阪急の木目調、国鉄117系のマホガニー調にくらべ、それほど特色はなかった感じがします。

転換クロスシートは終点で自動転換しますが、当時としてはかなり目新しいものだったようです。

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あまりに下手な写真なので、掲載やめようかと思ったのですがいちおう。

テレビカーはこんな感じでついてました。東武6050の行き先表示を思い出しますね。

当然ですがブラウン管式です。観光バスとかでも、重そうなモニターを天井にぶら下げたりしてましたっけね。

今電車の車内にモニターがついていても何とも思いませんが、当時は。。

205系サハ204にモニターがつくようになたのが平成2年ですからね。6扉車ですが、京阪の5扉車は昭和45年の登場です。京阪、ああみえて相当先進的。。

N化はなにしろかなり使えていて、相当先になりそうです。。

 

2019年6月15日 (土)

大胡駅周辺

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少し前のニュースですが、乗客減少に悩む上毛電鉄が、県や沿線自治体から支援金を受け入れ、併せて老朽化した現用の電車を新車に置き換える計画を発表したとのことです。・・といっても、手元にあるピクトリアル5月号「鉄道の話題」には記載が無く、ウェブのどこかで見たような、という程度(ただしウィキペディアや一部ブログには記載がある)で、詳細は不明です。

上毛を訪れたのがいつ頃からだったか、記憶がありません。雑多な旧型車(その中には今も生き残っているデハ100型も含まれる)を西武の351系あたりが、塗装もそのままに大挙して入線して駆逐したのが80年代のはじめ、次いでこれを東武の3000、更に3050系が受け継いだのが平成の初め頃。しかしそれも長く続かず、当時手ごろな大きさで地方私鉄に引っ張りだこだった京王3000に置き換えられたのが2000年代の初めごろでした。京王3000は当時としては都会的で設備の整ったきれいな電車でしたから、ちょっと驚いたものです。それから20年近く。

ちなみに350型の頃、MDを車内に持ち込んで中央前橋から西桐生まで、吊掛サウンドを生録したことがあります。。今探してみたけど見つからないな。当時は時々そういうことをしていて、碓氷峠廃止直前の「あさま」とか、中央総武緩行線の103系、最後は中央快速線の201系だったかな。201系のときは夕方のラッシュ時で、隣の乗客のおしゃべりが入ってしまってあれでしたけど。

しかしMDも再生機が現品限りだし、データ置き換えもめんどくさいしこのまま音源消滅かな。。

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そんな話はともかく、今回は大胡駅一本釣りです。車で来てしまったので。。

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駅も周辺もきれいに整備されています。駅構内はあまり変わっていない。よく見れば、車庫前の廃車体(もう8年前にはなかったけど)はなくなり、建物も今風にきれいに整備されていますけど。

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デハ101ももちろん大切ですが、こういうたたずまいの電車庫は本当に貴重です・。木造の庫というのはたぶん、もうほかにないんじゃないかな。。

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こちらも休憩中。

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こんなものいたかな、と思って調べたら、デキは東急から、テ241は東武七光台区の倉庫だったものを復元したのだそう。

2011年5月訪問時にも見かけなかったのは、車庫内に車庫内に保管されていたのでしょうか。

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小さすぎて(全長8mぐらい)Nゲージにはしにくいだろうと思ったら、ワールド工芸からお求め安い値段で出てるんですね。

俄然買いたくなったけど、仕掛品が多すぎて厳しいな。。

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今度予約してみたいです。

この日は思い付きで来たし、天気もこのあと酷い雨で(このときも少し降っていました)。。

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もと東武のKS31系っぽいですが、これはたぶん実用に、文字通り「台車」として使っているのではないかと思われます。8年前に来たときはここにパイオニア3台車が置いてありました。

更に昔、30年ほど前の写真を見ると、この倉庫?のあたりは解体作業場のようになっていて、もと西武351のものと思われるがれき―主電動機やらCS-5型主制御器やらが転がっていて、鉄道職員ではなさそうな男女二人-女性のほうは当時の私と同年輩ぐらい-が箒を持ってなにやら片づけをしていました。この人たちはどういう関係の人なんだろう?と思ったのを、今でも覚えています。

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パイオニア台車ですが、西桐生寄りの側線に数台置かれていました。

枕梁付き直接装架台車の仕組みが良くわかりますね。

ボルスタレス台車というのは、この上に乗っかっているやつがないわけです。

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などと思っていたら、監督と目が合ってしまいました。

さっきまで休憩中だと思っていたのですが。

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「なにしにきたん?撮影許可もっとん?」

すみません、ちゃんと敷地外からさつえいしてますんで。。それにしてもなんで埼玉弁なんですか?

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・・さいごはこれ、TR11系ですが、ちょっと珍しいことにこれは枕ばねのところの重ね板ばねが一組しかついていません。部品として別に使われたのでしょうか。。

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けっこう雨が降ってきた。

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ああ、パイオニア3台車は、現役では使ってないのかな。

前乗った時、線路状態があれなのか、底付してえらい乗り心地になっていたことを思い出しました。

350系の頃は、東武時代にはあまり聞けなかった高速(70キロぐらい?)での吊掛サウンドと豪快な乗り心地に酔ったものです。。

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この色は井の頭線時代の面影が強く感じられます。

京王に残った更新後の全面はいただけなかったですね。。

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外で見ている限り、今でもかなりきれいな電車ですが・・。新車はどういうスタイルになるのでしょうか。

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というわけで。

 

 

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