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2017年4月20日 (木)

通勤(従来ルート終了)

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転居に伴い、これまで使っていた通勤経路からの出社は19日(水)をもって終了となった。
 
私の場合、勤務地の変動に伴うルートの変化はかなりあったので、何十年も同じ経路で通勤した、という経験はない。現ルートはそれでも7年近く続いていたので、一番長いほうかな。
発駅はここに住んで以来変わりなく、19年弱ぐらいだった。この路線を利用しての通勤は22年間と長い(切れ目なく定期券を持っていたわけではないが。。)。これだけ長いこと「沿線住民」していると、そうでなくなるというのはなんだか不思議な感じ。まだちょっと信じられない。
 
もっとも、住まいはなくなっても当地には引き続き頻繁に訪れるので、あまり感覚的には変わらないのかもしれない。
 
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この沿線に住む前は、JR中央沿線に5年ぐらい住んでいた。前年くらいから今の沿線を頻繁に利用するようになり、やがて移り住むようになる。まあ、しょうじきちょっと「都落ち」感はあったな。coldsweats01 
 都市部のJR幹線はなんだかんだ言っても一つ一つの駅の規模が大きいし、高架複々線で運転本数も多い。車両も統一されている。「民鉄」との差はそれなりにある。
 まあぶっちゃけ西武なわけですが、あの頃は701系とかも残っていて、夜乗るといささか侘しかったですね。。
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今見ると、201系とそんなに変わらない気もするなbleah 蛍光灯の数が少なかったとか。
もっとも、そのずっと後、3.11の後しばらく蛍光灯、間引いていたよね(いつの間にかなくなりましたね。混雑時、本を読むのに困ったので、タブレットで電子書籍を読むきっかけになりました)。
 
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転居して数年くらいのひととき、中央沿線が恋しくなって、帰りにもと住んでいた駅に立ち寄って食事して帰ったりしたこともあったな。今はもう、そんな気分はすっかりリセットされて、自分の中で残ってないけど。。
 
でまあ、今回ももしかしたら、同じように昔が恋しい、をやりそうな気もする。せんちめんたるだねえ。。
 
*4/20一部訂正 写真を差し替え

2017年4月15日 (土)

レイアウト(うさぎ鉄道)の引っ越し

相変わらず慌ただしい日々ですが、先日人や小鳥たちに先立ち、レイアウト(うさぎ鉄道本線、小松菜線)の引っ越しをしました。

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とっちらかっていてお恥ずかしいのですが、転居前の最後の運転。4月9日(日)のことです。
駐泊所には常時D51,C58がいて、ワム80000以下の貨物編成もヤードに置きっぱなしだったのですが、この運転を持って撤去。のんびりもしていられないので、ちょっと整備の悪い西武2000N系で最終運転としました。一応ご当地電車、ということでね。
 
廃線ではないし、特別なセレモニーめいたことはなしです。まあ、開通時にもしていませんが。
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搬出当日。
荷物を片づけ、移動のためのスペースを開けます。
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2008年3月1日。B1のフレームは3枚あり、全部使う構想もあったがハンドリングを考えて2枚縦つなぎとした。ホームセンターでアングル材を買ってきてねじ止めしただけ。シーナリィ等を付けた後は、分離は不可能に。
 
薄いベニヤだから、とにかく軽い。実家にある、30年以上前に作ったレイアウト(1400x700ぐらいかな)は、TMSの記事を読んでしっかりしたLガーダー(トラックのシャシーのように、縦に太いフレームが2本通っている)を組んだ。丈夫すぎて、持ち上げるのも一苦労なため解体もできていない。
 
定尺ベニヤより25センチ長く、20センチ狭い。これも取り回しに効いている。この部屋は2階だが、なにかの用で1階に降ろした時も、問題なく狭い階段を通ることができた。もし移動が困難だったら、このまま解体していたことだろう。
 
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フレームを組んだ時から、部屋に立てかけていた(故に工事が進まず、長い間ほったらかしになっていた)。09年12月に完成してからも、長いこと立てかけ式のままだった。’11年3月の東日本大震災のときは線路面を上にした状態で倒れていた。
 
フレームが割れていたが、表面は奇跡的に全く無傷だった。写真は震災後帰宅してすぐに撮影したものだが、はじめからこの状態だったのか、記憶がない。
 
右奥に見える壁に、裏側を見せた状態で立てかけてあったのだが、そこからこの状態になったにしては、右側の足が折れずにいる。
 
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震災復旧後もそのまま立てかけていたが、同じ部屋でインコを買うことになり、また地震が気になるようになってきた。前回は部屋に誰もいなかったが、下手をするとインコのケージの上にレイアウトが降ってくることになる。
 
それで、立てかけるのをやめて常時スタンバイの状態で据え置きするようになった。のだが、それがいつ頃だったのかが思い出せない。。手許の写真を見ていると、2012年5月の連休ごろはまだ立てかけ式、6月ごろには既に据え置きになっているようなのだが。
 
余談だが、撤去後は部屋のスペースがかなり広がり、すっきりした。穴が開いたように寂しくなるかと思ったが、かえって快適で(^-^;、やっぱりけっこう場所、ふさいでいたんだな、と実感。。。どうせその快適さも、あと1週間くらいしか保てないが。
 
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多少注意を要したが、とうにか階下に降ろすことに成功。
 
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レンタカーに積み込む。車は、荷室寸法を比較してこのために借りてきたマツダ ボンゴ。
ぎりぎりで収まる。
 
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小松菜線も一緒に積み込んだ。
 
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転居先に到着。今はがらんとしているが、何しろ狭いので。。
 
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最初予定していた場所とは違う場所になったが、とりあえずここに置いてみる。
 
うっかり、足のねじを忘れてきてしまったので、このままおいて出た。
というわけで、移設完了です。池袋線の逆立体化とか、東横線代官山とかにくらべるとささやかなものですが、自分にとってはちょっとしたプロジェクト完遂気分です。とはいえ、これは転居プロジェクトのごく一部。まだまだ続く。。
お知らせ:20日ごろから数日ネット環境がとまるので、更新は転居後となる見込みです。

2017年4月10日 (月)

ももいろクローバーZ駅

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鉄の方よりは、一般のファンの方たちのほうで話題になっているのかもしれませんね。
ふじみ野駅がももいろクローバーZ駅(ん?ももいろクローバー駅Zなのかな?)に駅名変更・・期間限定ですが。
 
といっても、ホームの駅名票や車内アナウンスは変わらず。
それどころか、西口側の駅名表示も変わっていない。
 
東口側だけ変わったのは、こちらからコンサート会場方面に行くバスが出ているから、だと思います。
 
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遠くから来る人のために、「ももクロ」などという案内表示が出ています。
他にも、改札を入ったところで迷わないように、「川越方面」「池袋方面」という表示が大きく掲げられていました。
 
遠方からファンがたくさん訪れたのかな。
 
私自身は超多忙のさなかでしたので・・。この写真を撮るのがせいぜい。
 
今日は、レイアウト(うさぎ鉄道)現宅での最後の運転をしました。(たぶん)。
普段出しっぱなしの車両は撤収。この木曜日に、人間に先立ち転居先に移転します。

2017年4月 6日 (木)

新井薬師さくら2017 そして沼袋配線変更

しばらくご無沙汰いたしました。

転居関連で多忙となり、鉄道部のほうまで手が回らなくなっております。
 
各方面からのホットな話題、東武の「大樹」から「リバティ」、西武ではS-TRAIN等々、身近な鉄道の変貌を伝えるニュースがネット上に流れているのですが、こちらは全く身動きが取れません。。
 
それでも、何とか時間を少しだけ作って、新井薬師の桜を撮ってきました。
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平日の朝、出勤前の撮影ですが、蓄積疲労で出かけるのに手間取り、ほんの少ししか時間が取れませんでした。最初は沼袋の様子を撮影してから、と思っていたのですが、ちょっと無理。とにかく現場へ。
 
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ここ数年は、同じように朝出勤前に撮影に出かけていますが、昨年、一昨年は4月1日に行っていたようです。今年は満開が少し遅くなりました。
 
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最初にここを訪れたのは10年くらい前だったかな。そのころは夜桜も撮影していましたが。
 
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よる
ちょっとおざなりですが、数本電車が来たところで撤収。
 
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さて、夜、帰りに沼袋を訪れました。4月2日からホームの位置が変わると、以前から車内放送で告知されていました。
 
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ちょっと光って見えにくいですが、もともと中線を通過線とした2面4線であったものを、下り線を廃止、上にホームをかぶせています。ホームは西武新宿寄りに38mずれて設置されています。
 
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元のホームはそのままに、ホームの幅が広くなっています。
元のホーム自体は昨年、工事のため幅が多少狭くなっています。
 
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本川越方。もとの下り通過線をそのまま本線に転用しています。線路配置としては中井と同じ形になり、1本の通過線を上り、下りで共用できるようになっています。
 
撮影時点(午後9時台)では、通過線はもっぱら下り列車に使用されていました。3月25日のダイヤ改正で、多少調整がされたものと思われます。以前は上り線側も終日通過待ちをしており、同時刻に上下に通過待ちの列車が停車している場面もしばしば見られました。
 
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ホーム先端に改札口があります。ここの部分は今は単なる通路と化しています。
 
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ので、ここには新設ホームをかぶせておらず、元の本線跡が残っています。
 
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ローカル線によくある、欠き取り型のホームを連想します。 
 
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上屋は延長されていないので、列車に乗るときにはどうしても濡れてしまいますね。
いずれ、もとのホームは解体されて仮の上屋が設置されるのでしょう。
 
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まだレールの頭が光る状態で残っています。
 
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エスカレーターも移設されるのでしょう。 
 
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跨線橋からみる。構内はだいぶ狭くなったように見えます。
 
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もとの上り通過線を、下り列車が通過していきます。
 
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手前のポイントは、昨年秋に新設されたもの。
 
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暗くてわかりにくいですが、下にレールを撤去した軌道が見えます。枕木はそのままになっている模様。
 
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上り線側。ホームはこちら側に延長されています。
 
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本当は日中の撮影をしたいのですが、レポートともども時間がなくて失礼!

2017年3月18日 (土)

鉄道雑誌

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時折ここで触れているように、近々転居を控えている。転居先の都合もあり、手持ちのものを整理しているが、特に問題となるのが書籍、雑誌、資料などの紙類だ。
 
鉄道雑誌、鉄道模型誌について、ここ25年ほどは鉄道ピクトリアルを中心に購読してきた。最初に鉄道関係の雑誌を買ったのは1974年6月の鉄道模型趣味だが、それ以後一貫して43年間買い続けた雑誌というのはない。
 
鉄道模型趣味は’74年から買い始めて、10年間くらいは全号そろっていた。80年代の後半から90年代初めごろまではあまり買っていない。その後復活したが、2000年ごろを境に再び中断、たしか800号の記念号は後から買って、その後数冊買ったかどうか。山崎氏が筆をとっておられたころの記憶が忘れられないというのもあるし、最近の模型界の情勢についていけなくなった、ということもある。
 
とれいんは創刊号が書店に並んでいたことを知っている。書店で最初に買ったのは’75年8月号で、9月号も買ったが、月刊誌を2誌購読することは子供には厳しくて、しばらく中断。’76年1月から1年ぐらいは鉄道模型趣味と並行して買っていた。’77年以降は気に入った記事があるときだけ買っている。とはいえ、とれいんは雑誌としてはかなり高価な部類となり、もう何十年も買っていない。RM誌はよりカジュアルな内容だが、80年代の一時期買っていたことがある。
 
模型誌から入っていったので、実物誌を買うことがなかなかできずにいたが、’76年11月のジャーナルをはじめ、年に数回は気に入った記事のものを買っていた。’80年夏からはジャーナルを毎月買うようになった。種村直樹氏の自伝が掲載されていたころだ。
 
私にとって国鉄改革の前後はどうも暗黒の時代という印象が強い。80年代前半は地方路線の廃止、貨物の合理化、労使関係の悪化、職場規律の悪化のような暗いニュースが続き、鉄道趣味を続けること自体、苦痛に思えるようになっていた。 
 
ので、80年代後半ごろはあまり鉄道にコミットしておらず、だいたい自動車関係の雑誌とかを読んでいた。今から思うと、自動車時代は10年あるかないかというところで、鉄道に比べると短いのだが、車を買ってどこかに出かけたりとかをしていたので、それなりに印象は強い。車雑誌関係は一部を残してほとんど処分してしまった。
 
その後は鉄道に戻り、先ほど書いたようにピクトリアルを主に購読していた。ピクトリアルは鉄道専門誌の中では比較的薄くて保存はしやすいが、さすがに20年を超えると一定のボリュームがある。たしかピクトリアル900号のとき、鉄道研究家の根本幸男氏の書架が掲載されたことがあったが、900冊のピクトリアルで本棚一本分ぐらいはあっただろうか。
 
根本氏ほどの年期もこだわりも持つことができない私にとって、手持ちの雑誌すべてを保管し続けることは難しい。これまで、今思えば大変幸いなことに、保管スペースについてはそれほど気にしなくてもよい環境にいた。これからはそうはいかないし、今後もアーカイブスは増えていくことだろう。ので、自分にとってそれほど重要でない号については、処分することにした。 
 
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たくさん並んでいるように見えるが(そうでもないって?)、これがすべてではない。古い号は別の場所にあり、それは処分しない。ここにあるのは90年代半ば以降のもので、いまのところおよそ半分を処分することにしている。
 
まだ簡単により分けただけだが、90年代以降の鉄道模型趣味誌は大部分が処分される見通しだ。70年代のTMSはどれも-自分のジャンルとはちがうものであっても-記事として読ませるものがあるし、どこに何が書いてあったのか、ほとんど暗記しているものもおおい。90年代以降のもので、印象に残った記事、今でも思い出せる記事というのはほとんど存在しない。
 あくまでも自分の主観だ。紹介されている製品の出来、技法のレベル、文章、どれをとっても、最近のもののほうが格段に優れている。それなのにというか、だからこそ、昔の素朴な模型の素人っぽい文章による紹介記事のほうが、好ましく思えるのかもしれない。
 
ピクトリアルでは、車両ごとの特集、例えばオハ35系特集とか、キハ58系の現状、みたいなのは無条件で残したくなる。反面、信号設備の特集とかなどは、どうしても処分に回る確率が高くなってしまう。地域別でもたとえば、中央線今昔みたいのは残したいし、それ以外の東海、関西地区あたりになると、やや関心が薄れて処分に回ってしまうのはやむを得ないところか。
 
業者さんは明後日に訪れることになっているが、事前に問い合わせたところでは普通にある雑誌などはあまり値がつかないこともあるとのこと。正直、私も自分にとって値打ちのあるものは手放す気もない。。逆に言えば、そういうものを残しておきたいからこそ、網羅的な保存ではなく選別をせざるを得ないともいえるのだ。。
 

2017年3月12日 (日)

鷺宮折り返し

以前メインブログのほうにちらと書いたが、このブログ(メイン、鉄道部)が2011年春から始まっているのは、東日本大震災と無関係ではない。というより、あの災害を一つのきっかけとしている。

それはともかくとして、この鉄道部のほうで、あの時のことについて触れることはほとんどなかった。理由はやはり、このようなゆるい趣味的なブログで取り上げるのは穏当を欠くと思っていたからだ。
この震災のときだったか、もしかしたら尼崎事故のときだったか忘れたが、「鉄道ファン」誌が、編集後記にこうした鉄道災害についての記述に関する見解を示していた。
 
ファン誌はこれらの事故について、紙面に記事を掲載しなかった。理由の一つは心無いファンが記事を「曲解」することを避けたいこと、そして楽しい趣味の雑誌たるべき同誌の趣旨にそぐわないからだ、と。いい方は違ってたかもしれないが、大略そういう趣旨の話だった。
これは一つの見識でしょうね。
 
翻って、このブログに社会的な影響力などはないが、私の場合はまあ、気持ちの問題として。。
 
ただ、あれから6年が過ぎ、自分の記憶も少しずつ失われつつある。それに、間もなくあの頃とは住環境が大きく変わる(転居する)こともあり、少しだけあの時のことに触れてみる気になった。
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以下は当時のメモをもとに記す。
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11日当日、首都圏の鉄道は全て止まり、いわゆる帰宅難民が大量に発生した。私もその一人であり、当日は帰宅せず、家族と親戚の家に身を寄せている。この日はだから、午後は鉄道を利用していない。

その後、徐々に運転を再開したが、この時点では電力事情は関係なかった。しかし、日曜日の午後になると、週明け以降の電力事情ひっ迫がにわかに問題になる。

 

深夜になって、東京電力から計画停電の話が持ち出された。午後11時過ぎ、ウェブを見ていたら、西武は明日、池袋線で池袋-練馬高野台間、新宿線で西武新宿-鷺宮間のみ運行し、他は運休するという記事を見つけた。半信半疑で最寄りの駅まで行ったところ、私と同様の不安を抱えた人が駅員に質問しているところだった。

 

実際に当日、計画通りにいったん実行されたらしいが、私が出かけるころには東電が停電を実行しなかったということで、運行範囲を拡大していた。急行運転はなく、すべて各駅停車でかなり混み合っていた。

 

帰宅時には再び限定運転に戻り、午後7時台は西武新宿-鷺宮間で運転していた。

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おそらく出社を見合わせた人も多かったのだろう。利用客はまばらだった。

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ずっと限定運行しているわけではなく、午後9時か10時ごろに運転再開するとのことだった。

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鷺宮では2番線のみ使用しているようで、ホームについた列車は折り返し西武新宿行きとなり、西武新宿寄りの渡り線を使って上り線に転線していた。

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鷺宮行きという方向幕はないので、30000系の行き先表示も「臨時」である。

車内の液晶モニターはSEIBUというロゴを表示するのみ。そういえば先日乗った電車も、故障なのか同様の表示になっていたのを見た。

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私はここから歩いて帰れたので、改札口を出てバス通りに出た。改札では駅員が誘導をしていた。通りでは同輩を数人見かけたが、家までは思ったよりも時間がかかった。

翌15日(火)は、計画を実行して朝は鷺宮折り返し。このときは池袋線の折り返し駅だった練馬高野台駅を利用した。始発駅で乗客も少ないため、案外快適な通勤だった。メトロ7000系が池袋地上駅に乗り入れていた。石神井公園ではなく、練馬高野台を折り返し駅としたのは何か意味があるのだろうが、なにしろ異常事態続きで、そんなことで驚いていられない、という雰囲気もあった。

 

この日の夕方は前日と違い、上石神井折り返しとなっていた。普段のダイヤでも上石神井行きはあるので、施設的には問題はなさそうだ。

 

16日(水)朝は運行範囲を拡大していた。急行運転はしていないので8両編成で、遠方からの列車なので極めて混んでいた。様子を見ていた通勤客もそろそろ仕事に戻り始めていたのだろう。帰りは田無までの限定運用だった。

 

以後、徐々に輸送状況は改善に向かっていく。


2017年3月 2日 (木)

快速

ああ、ついにこの日が。。

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区間快速ではなくて快速として乗車したのは、1996年頃が最後かな。。乗車距離に比して設備も適切で、かなり好きだったんですけどね。。 
 
最近は区間快速での乗車がなんどかありますが、停車駅が多く、乗っていると昔の客車鈍行を思い出すような雰囲気でした。
 
思い出すのは、6年前の成人式の3連休のとき、宇都宮に餃子を食べに行きました。行きは新幹線に飛び乗ったのですが、帰りは東武にしようと、駅を探して歩き始め・・。場所も知らなかったし、まあ川越から本川越行くぐらいの位置関係だろうと思っていたのですが・・。
 
とにかく、新栃木から乗車した区間快速、かなり混雑はしていたけど、なんとかボックスシートの一隅を確保。自分のボックスには前にちょっと怖そうな労務者ふうのおじさん、もう一人は忘れたけど、となりには髪をアップにした、たしか着物着た中年の女性。この人、たぶん年末年始に、鬼怒川温泉あたりの旅館で臨時雇いしてたんじゃないかと、想像したりしましたが。。荷物はキャリーバッグに小さくまとめられ、妙に職業っぽい雰囲気を漂わせながら、おとなしく座っていた。
 
反対のボックスは、かなりくたびれた様子の家族連れ。やはり鬼怒川温泉辺りに泊まっていたのでしょうか。長旅に子供が飽いてぐずぐず言ったり、ふざけまわったりしていたが、親たちは叱る気力もなさそうな。。予算の関係でスペーシアには乗れなかった感を漂わせていましたが、たしか春日部を過ぎてもまだ乗っていた記憶はあるな。
 
なんというか、客層が、例えば上越新幹線や常磐線特急などとはずいぶん違う感じがして、とても印象に残っています。やはり長距離鈍行っぽいというか。。
 
最近では2年前に、南栗橋から乗った記憶があるな。南栗橋は田舎ではあるが、東急車10両も入って来るし、駅施設は普通に都市部の電鉄式の作りだ。時折入線する6050は編成も短く、なんとなく場違いな雰囲気を漂わせていた・・。これが春日部とか、北千住あたりだとしっくりくるんだけどね。。
 
6050、その前の6000系は東武車の中でも特に好きな電車だけどなあ。その割に写真はあまり撮っていないけど。西武における4000系みたいに、時折臨時かなんかで運転すれば、かなりプレミアム感をもって迎えられるのではないかと思うが。
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2017年2月19日 (日)

岳南鉄道のEL

ご無沙汰しております。

 
多忙な状況が続いておりまして、しばらくは減速運転をせざるを得ないかもしれませんね。。
撮影に出かける、みたいなことは、昨年からだんだんできなくなっていましたが、しばらくは難しいかな。。東武の本線筋では様々な色変わり電車とか、新型特急とか、話題は伝わっているのですけどね。。
 
うさぎ鉄道(レイアウト)の存廃もまだ未確定です。。がまあ、色々心境の変化もあり、一旦解体して作り直すのも悪くないかな、と考えたりもしていますが。。
 
そんなわけでネタなしなのですが。
古い写真をめくりながら、こんなものを。
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岳南のED50型 501号。6年前のGWの撮影。連休中なので仕業がなかったらしく、前後のレールがさびていますが、このときは現役でした。
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かなり原型に近い状態ではないかと思います。。
 
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ED29 1 当時車籍はありましたが長期休車中の状況。貨物用とはいえ、昭和初期の車両が21世紀前半まで形をとどめているということ自体、凄いことですね。。
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左は線路上に無造作に置かれたクーラーキセ。
 
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当時主力のED40
 
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よくできたフリーランスの模型のような感じですね。
赤いほうは西武をほうふつとさせます。
 
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この翌年に岳南は貨物輸送を終了し、この機関車も廃車となったようです。
ここを訪れたとき、廃止が近いと知って行ったのかどうか、もう忘れてしまった。
 
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話はとぶけど、これはED50と同型の川崎造船製小田急デキ1010の模型。
柴崎模型が出していたエッチング板をもとに、30年前に作ったもの。下回りもキットメイクで、当時のGM電車用動力ユニットからウォームとモーター、台車部分を利用してまとめた。ウォームはいったん外して、モーター軸に叩き込まないといけないが、1回失敗してもう一両分ユニットを買いなおしている。
 
手元に現存するが、押し入れの奥に入っているので横着して、16年前の写真を掲げておきます。初めて買ったデジカメの、2枚目に撮ったショットです。
 
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こんなものを牽かせるとヨーロッパの機関車ぽいですね。。

2017年2月 5日 (日)

TJ中毒

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昨年まではたまにしか利用のなかったTJライナーだが、今年に入って週に数回利用するほどのヘビーユーザーになりつつある。。
 
私のTJ利用基準は、「今利用可能な最短時間で目的地に到達できる列車を利用する(一定基準のもとで料金の要不要は問わず)」、であり、もし数分前に出発する準急に間に合えばそれに乗る。最近の準急は結構空いているし、途中で座れることも(時間帯によっては)珍しくない。
 
ところが、遅い時間の準急はふじみ野で接続せずに、途中でTJに抜かれてしまう。ので、それなら10分待ってTJに乗ったほうが速いことになり、TJ利用可能時間帯が増えてしまった。
50090系のクロスシートはリクライニングしない(よね?)し、非常に快適というわけではないが、確かに定員乗車で必ず座れるのはありがたいのだ。
 
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先日、京都の知人(鉄道ファンではない)と話をしていて、TJのことを話題にした。
知人は大阪に出向くときはいつも、料金不要特急に乗る。クロスシートで快適な車に乗れるので、非常に便利だ、という話をして、それにくらべ関東は・・という話になった。
 
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別に珍しい話でもないが、関東地区のクロスシート欠乏症は深刻だ。
中電がセミクロスシート車だったのは遠い昔の話になり、今や普通車のクロスシートはおまけ程度、どうしても乗りたければ料金を払って、というのが定着している。
そういえば着席通勤は小池百合子都知事の政権構想に出ていたな。
 
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6050系のクロスシートは快適だが、利用者としても現実問題として、こういう車が首都圏近郊で幅を利かせる時代が来るとは、あまり考えていないかもしれませんね。。
たぶん、6050の後継は出てこないのでしょう。。
 
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一方で、直通区間の長距離化が進んでいるわけで・・。多扉、トイレ設備付で、マルチアレンジシート付の車を発展させていくしかないでしょうね。。
とにかく、安易にTJに乗ることと、仕事中につい甘いものを口にすることは、最近の私の悪い癖。。

2017年1月28日 (土)

世田谷線

1981年冬の写真ですが、このときの写真は以前にも掲載しています。

今回一部トリミングするなどしましたが、元の写真があまりよくないので、同じですね。。
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江ノ電でも600型として使われましたが、割とまとまったデザイン。運転台付近が狭かった記憶があります。。
 
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比較的最近まで残っていたのですが、随分昔の車に見えますね。
 
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街の風景がそこはかとなく古い。いまと変わっていないようでやはりちがう。
 
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70型は古く見えますが、80型とは10年程度しか差がない。内装はどちらも木製ニス塗りだった記憶があります。手入れが良かったのか、あまり古臭い感じはしなかったな。親戚の、ちょっと古風な家に行ったような感じ?だった。
 
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これはやはり都会の電車なのでしょうね。古くても田舎臭い感じはしない。静かな住宅街を縫って走るのにふさわしい感じ。
 
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撮影は’81年の、たしか2月ごろだった記憶があります。
 
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これも前掲げたかな。私にとっては、これとグリーン車こそが京王、という感じなんですけどね。。

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